No24 イベリコ鹿 2010年11月23日(火)
木の葉が落ちて初雪の季節になるとお願いしていた極上の食べ物が届きます。それは近くのハンターの人から貰っている鹿肉です。
ハンターの人にはドングリ山で捕ったピン角(ピン角とは枝分かれしない一本角の事です)の雄鹿が獲れたらお願いしますと言ってあります。狙って獲るのは大変難しいそうですが幸いなことに腕利きのハンターは毎年その願いを叶えてくれています。ドングリを沢山食べている2歳の若い雄鹿の肉は、おいしい脂がしっかりのっていてしかもさらりと芳潤な味わいをしています。
調理法としてはもも肉をたたきにロースとランプをステーキにバラ肉は焼き肉にして食べますが、子供や孫たちにも大人気であり我が家ではイベリコ鹿とよんでいます。
その名前は、おいしさ世界最高峰と言われているイベリコ豚にちなんでつけた名前であるが(実は私は本当のイベリコ豚は食べたことがありませんが)その独特のおいしさはどちらもドングリを沢山食べているからに違いありません。
今年は山にドングリが沢山なった年でしたので順調にイベリコ鹿が届きましたが、
周りの山を見渡すと最近はドングリのある広葉樹の山がどんどん切られて針葉樹の山に替えられているのが多く目につきます、我が家にいつまでイベリコ鹿が届くのか心配な限りです。
*つぶやき*
上等のもも肉は刺身が一番おいしい。おろしショウガかニンニク醤油で食べるのが最高である。
娘が東京の多摩動物園に行った時、同僚が「かわいい鹿さんだね」と言ったら「ごめん、私には食べ物にしか見えない」とつぶやいてしまい「あんた北海道でどんな暮らししてたの」と聞かれたそう。父似だ!
No23 ヤツメでナイト 2010年9月10日(金)
湧別川には初秋になると海からヤツメウナギが産卵のために上ってきます。ビタミンAの含有量が多く、古くから目の病に効く薬用として珍重されてきました。
ただ最近は環境変化の影響なのか、数が少なく、大きさも小ぶりになり、食用のヤツメウナギを捕まえるのは大変になっています。夜行性のため、漁は暗くなってから川の水深の浅い場所で行います。道具を使うのは禁止されているので、ぬるぬるしている体を手づかみするには軍手が欠かせません。
真っ暗闇の川の中に立っていると、はじめは周りがまったく見えなくて不安ですが、だんだんと目が慣れてきます。今と違って、太古の昔の夜はこんなものか、と不思議な感覚になります。
翌日の夜は、料理の時間です。ヤツメウナギには背骨がなく、背割りにするのはウナギより簡単。さっと湯引きして皮をむき、下ごしらえをして、かば焼き用のたれにひと晩漬け込みます。
そして3日目の夜は友だちと宴会。「どうも最近は目が弱っていかん」とか言いながら、酒飲みが集まってきます。かば焼きのほか鍋や空揚げもとても好評です。気が付くと酔いが回ったみんなの目はうつろ。ヤツメウナギは果たして効いているのか気になります。こうして「ヤツメでナイト」は三日三晩に及ぶのです。
*つぶやき*
この怪しげにぬるぬると光る物が食べ物だと思える人は数少ない。実はヤツメウナギは魚類ではない。なぜなら脊椎(骨)がない。ウナギには骨がある。そんな事はおかまいなしに私は蒲焼きを想像し、よだれが出る。やっぱりあぶない!!
No22 カゲロウな釣り人生 2010年6月25日(金)
長い冬が終わり雪解け水が落ち着くと、待ちに待った川釣りシーズンが到来する。今年のように気温が上がらず雪解けが遅れると、釣り人にとって大切な期間が短くなるので「早く水がきれいにならないか」と仕事の行き帰りに川面を見ては気をもんでいる。
私がよく釣りに行く湧別川には昆虫のカゲロウが多く生息する。川の生態系の中ですべての魚たちの餌として重要な位置を占めていて、羽化した成虫が水面に浮かび上がる時が最も盛んに捕食される。
カゲロウの羽化は、日が暮れてほとんど薄暗くなりかけてから。釣り人たちにとっても夕方が最高の釣り時間となり、私は夕食を食べてからゆっくりと川に向かうときもある。
さあ、戦闘開始。フライフィッシングの疑似餌はもちろんカゲロウに似せている。水面を跳ねている魚に向かってさおを流すが、いつもうまく食いつくとは限らない。途中で疑似餌を交換する時は、薄暗い中で釣り針に糸を通すので老眼の私にはかなり難しく、焦って血圧が上がってしまう。
水面ばかり見つめていて、ふと気付けば周りは真っ暗闇というのは珍しくない。森の暗さを改めて実感し、帰り道にクマと遭わないかと怖くなり、どきどきしながら急ぎ足になる。
カゲロウは成虫になってからの寿命が短く、はかないものに例えられる。私にとってもこの釣りは「心臓に良くない。寿命が縮むな」と感じる。妻には「そこまでしなくてもいいんじゃない」と言われるが、やっぱりやめられない。
*つぶやき*
夕暮れ時のムリダムでただ今ニジマスとのファイト中。ダムは水量が増減し真ん中ほど浅い。
気がつくと岸際が胸の高さより深くなり、胴長靴の中に水が入り必死で岸にたどり着いたことが何回もある。しかし魚が跳ねているとどうしても前へ・前へと進んでしまうのは釣り人のオバカな習性である!
No21 春一番の食べ物 2010年4月6日(火)
わが家で「春一番」を感じる食べ物は、アカハラの刺し身です。川の氷が解けるとすぐに、産卵のため河口から上流を目指す春が旬の川魚。体に十分な栄養を蓄えたアカハラを、釣ったその日のうちにさばいて食べるのです。
アカハラとはウグイの別名で、アイヌの言葉でもスプン(赤い腹)と呼ばれています。普段は銀色の魚体ですが、産卵期になるとおなかに赤いしま模様が入るのでそう呼ばれています。
アカハラには2種類あり、口が丸く3本のしまが入ったウグイと、口先がとがって、しまが1本のマルタウグイがいます。ウグイの方が骨が少し細く、私にはおいしい気がします。
小骨が多いためか、道内では、ほとんど食べられていません。本州の一部では川魚料理の名物となっていますが、道内は海の魚が豊富なので、多くの地域で川魚料理の文化がなかったのが大きな原因ではないでしょうか。
わが家でアカハラを食べるようになったのは、私の祖父の影響があります。祖父が入植者として屯田兵とともに湧別川流域に住んだ時代は、魚は自分で捕って食べる以外になく、アカハラも大切な食料だったと教えてくれました。春になると「流し針」という仕掛けで捕り、刺し身やぬたとして食べたり、焼き干しにして、そばやうどんのだしにしたりしたそうです。小骨が多い魚なので、できるだけ薄く、透けるくらいに切るのが刺し身のこつです。白身で上品な脂がのっていて、コリコリとした歯応えは絶品。釣りの帰りがけに採った山ワサビをすり下ろして入れたしょうゆで、温かいごはんと一緒に食べると、最高においしく「春だ!」と思わず叫びたくなります。
*つぶやき*
これがアカハラ。湧別川では河口付近の工事の影響で水深が浅くなり釣り場がなくなった。河口のアカハラのポイントにはオジロワシやオオワシが周りの木に群れていたものだ。昔は堤防によくあったわさび(実は外来植物)もあまり無くなり、春の食べ物も簡単には獲れなくなった
No20 湧別川の宝石 2009年12月4日(金)
湧別川に住む魚の中でもっとも可憐で美しいのは、オショロコマだと思っています。大きさは20cm程の小さな魚ですが体測にオレンジ色の斑点をもち、鰭や尾にも白とオレンジのコントラストがあって大変きれいなまるで川の宝石のような魚です。湧別川では水温の低い最上流に住んでいて夏になるとほとんど水が涸れてしまうような小さな流れにも住んでおり、よくぞこんな場所にもいるなと生命力の強さに感心させられます。
子供の頃には白滝に住んでいた伯父さんのバイクの後ろに乗せてもらいイワナ釣りと称してよく連れていってもらいましたが、熊が出るから離れるなよといわれ怖い感じでしたが驚くほど沢山釣れて嬉しかった思い出があります。そんなオショロコマも最近は数が少なくなっていて、それには多くの問題点があります。その一つは多くの砂防ダムに住処を分断されている事です。湧別川の上流には非常に沢山の砂防ダムが点在し、ほとんど魚道がないためオショロコマの多くはダムとダムの間の限られた場所しか移動することができません、短い場所では数百m程しかありません。たまに下流域であきらかに海に出てから帰って来たと思われる外国ではドリーバーデンと呼ばれる銀白色で斑点の薄い大きな魚体が釣れることがありますが、彼らも決して上流部までたどり着くことはできないのです。
それと低水温の中で生活するオショロコマは地球温暖化の影響を最も受けやすい魚だといふ事です、水温が一度上昇すると生存率が72.4%になり4度で10,4%にまで落ちるとのデータが報告されています。湧別川の宝石をなくさないために我々がするべき事は沢山あると思っています。
*つぶやき*
湧別川のオショロコマは、上流の熊が沢山出没する場所が釣り場である。最近は、居酒屋に卸すために釣りに来て、大量に持ち帰るやからがいるらしい。
私が熊ならそういう人を狙うのだが!ハハハ~
No19 釣りにルール整備を 2009年10月6日(火)
オホーツクの海岸はサケ釣りの最盛期を迎えています。今シーズンは「過去最低の不漁では」との予測もありますが、釣り人は道内各地を奔走し、海岸や港を埋め尽くす勢いです。
そのせいか漁業者や地域住民とのトラブル、釣り人同士の釣り場や釣りの仕方をめぐるいざこざも多くあります。中でも地域住民にとっては、残されるごみとふん尿が一番深刻な問題のようです。これは、手軽にサケ釣りができる道具が安い価格で買えるようになったことや、団塊の世代など時間に余裕のある人が増え、多くの人が釣り場に出かけるようになったのが要因の一つでしょう。
道内にはサケ釣りをはじめ、ほとんどの釣りにはきちんと定められたルールがありませんが、海外ではトラブルを避けるだけでなく、環境保護の観点から釣りのルールを決めている国々が多くあります。米国やカナダなどのルールは厳しく、ライセンス料金を払わなくてなりませんし、ルール違反に対しては重い罰則もあります。釣りの初心者や子どもたちにも、周知が徹底されマナー教育がなされています。
道内の釣り好きにとって、豪快なサケ釣りは1年の中で最も大きなイベントで、道外から多くの観光客を呼び込む可能性も秘めています。釣り人は楽しく、漁業者や地域住民は安心して仕事ができるように、北海道も早急に法律を整備してほしいと思います。釣り人と漁業者を住み分けるため、私に1つアイデアがあります。それは「釣り人専用の港」。経済的な負担はかかりますが、釣り人へのライセンス料金などで賄います。自分たちに還元されると分かれば、釣り人たちも協力するのではないでしょうか。
*つぶやき*
妻の父とは毎年一緒にサケ釣りに出かけている。昔は二人で何十本ものサケを釣り必死で車まで運んで来たことが何回もあった(車の後ろが下がった)。自分自身でルールを決めるのは難しいものだと想う。釣りすぎに注意しよう!自戒をこめて
No18 ヤマベの未来と私たちの幸せ 2009年8月8日(土)
7月1日ヤマベ釣りが解禁になった。高校時代は学校をサボってまで出かけた、釣り人にとって待望の日。東京から一人、札幌市から二人、北見市から一人と私、総勢5名の太めの釣り好きのおっさんが集まり、生田原川に出かけた。
私のとっておきのポイントは、自宅から10分足らずの通称「吊り橋跡」。「ヤマベの釣り場では遠い方だよ」というと片道3時間はあたりまえという東京人は、かなり驚いていた。
いざ釣りを開始。フライフィッシングが得意な東京人も、この日ばかりは私からさおとイクラを借りて挑んだ。さらに「自分で釣ったヤマベしか食えないぞ」との言葉にいつもはキャッチ&リリース派もかなり張り切っていた。三年前の大洪水により生存があやぶまれたヤマベが、昨年から見事復活し、開始より2時間程で自分たちで食べられる十分な釣果を達成した。
早々と午前中に釣りを終了し、我が家で調理をした。大型は塩焼きに、中型はフライに、小型は唐揚げに。マイタケご飯を炊き、タモギタケが大量に入ったみそ汁を大鍋いっぱい作った。5人で30分ほどで完食。おしゃべりの後、お腹一杯で昼寝をすると、予定していた午後からの釣りの時間がなくなり、友人たちが帰る時間になった。友人は皆、「ナベさんは幸せあふれる土地に住んでいるね」「私も引っ越してこようかな」と言ってくれます。でも地元の人達はこんな幸せをもたらしてくれる自然がすぐ近くにあるのに、あまり関心がないように思える。生田原川は今後、上流から遠軽町まで全面的に堤防が造られる計画になっている。北海道土木現業所では環境への十分な配慮を約束してはいるが、ヤマベの未来と私達の幸せのために、厳しく監視していかなくてはと考えています。
*つぶやき*
ヤマベが復活。してほんとうに良かったと思ったが、この年だけだった。一度大きな変化があるとそんな簡単には元にもどるはずはない!人生にもそんなことは一杯あるもね
No17 エルムの雑木山 2009年5月10日(日)
英語でエルムとはハルニレなどニレの木の総称で、幸福の木の意味を持つと言われています。昔は街路樹にもなっていて、流行歌の「高校三年生」の「ニレの木陰に...」というフレーズを知っている人も多いはずです。でも実際のニレの木がどんな木なのかを知っている人は少ないかもしれません。
ニレを含め多くの広葉樹が混生している山は雑木山と呼ばれます。その中はいろいろな特徴の木が生えて、多くの生き物が生活している場所になっています。木の実は動物たちの餌になり、落ち葉は栄養豊かな土になり、山に水分を蓄える保水の役目をはたします。川に落ちたり、海にながれたりした葉は、虫たちの餌になり、その虫を食べる魚たちにとっても大切な役割をはたしているのです。だから雑木山はとても大事なのに、今、私の周りではどんどんなくなっています。雑木を育てるのは年数がかかるから、というのが理由で、成長が早い針葉樹に切り替えられているのです。しかし針葉樹だけでは、雑木山の役割を果たすことができません。
国有林では、皆伐して針葉樹だけを植える昔の方法ではなく、広葉樹と織り交ぜた林を造る方法に替わってきてはいるそうですが、いまだに経済性だけを重視する人が多く、民間の山ではほとんど採用されてません。エルムの木を好きな人に贈ると、「私に会いに来て」というシグナルになるそうです。この春は、ぜひ多くの人たちが関心を持って雑木山に足を運んでくれることを願っています。
*つぶやき*
この写真は当時近くに住んでいたオーストラリア人が写してくれた湧別海岸のニレの木です。彼の写真はセンスが良くてすばらしかった。しかしいきなり離婚すると言ったきりいなくなった。私は英会話を少し習ったが、もうすっかり忘れている!
No16 メタボリックな魚達 2008年5月20日(火)
春を迎えたオホーツク海では、流氷が残した養分によってプランクトンが大繁殖し、それを求めて沢山の魚達が活動を始めます。同時に多く釣り人達が海岸や港に押しかけカレイやチカやニシンなどをねらって竿を並べています。オホーツクの釣り人の海明けです。この時期に最高においしいのは毛ガニとサクラマスでしょう。
サクラマスの名の由来は、桜の花が咲く季節に生まれ育った川に帰って来るからだとの説と、秋の産卵の季節になると桜色の模様が体に出来てくるから、との二つの説がありますが、旬を考えるとやはり春の魚と思えてしまいます。オホーツクでは主に小型定置網で漁獲されますが、あまり多くとれる魚ではなく、スーパーなどでお目にかかる事が少ないです。塩振り焼き、煮付け、フライ・・・。どの料理も絶品です。春に遡上を始めるサクラマスは、秋の産卵の季節までほとんど餌をとらないで暮らして行かなければならないので、今の時期にはたっぷりの脂肪を体に蓄えたメタボリックな体型をしています。その栄養分で半年間生き抜くのです。
昔から漁師の人達は、大きくてりっぱなサクラマスを敬意をこめて板マスと呼びます。横から見るとお腹がでっぷりとしていてまるで長方形の板の様に見えるからだそうです。ホッケにしてもサケにしても、ほとんどのおいしい魚はメタボリックな体型な方が立派に見えるのです。
魚の世界では価値観をもって語られメタボ体型ですが人の世界では逆。自分が何かわるいことをしているかのような、寂しい気持ちにさせられることが多いです。「あなたもお魚さんだったらよかったのにね」と妻に言われ、そっとおなかをなぜる私です。
*つぶやき*
ぷっくりとしたヤマベのフライ。私の大好物である。
自然からの偉大なお恵みもメタボな私にとっては危険な誘惑である。しかしがまんできない!
No.15 見えない命 2007年5月26日(土)
サケは親子が巡り会うことはありません。
秋に川に上ってきた親サケは産卵をして死んでしまいます、その親サケの死んだ体はバクテリアによって分解され川の養分となります。それによりちいさな川の虫たちが繁殖し、その虫たちを生まれたサケの赤ちゃん達が食べて大きくなり、川を下って海にたどり着き大海原を回遊して大きく育ち、また生まれた川に帰ってくるのです。
実際には親サケが子供のめんどうをみて育てるわけではないのですが、見えない大きな命の連鎖で繋がっているのです。
昨年秋の大洪水で湧別川も各所に被害が出ました。川だった所が干上がり、畑だったところが川になったりしているので、今年から色々な場所で工事がが始まることでしょうが、多くの子魚や虫たちも流されたりすみかを失い、多くの影響を受けているはずです。
カナダでは幼稚園から高校生までサケの採卵作業や川の周りのゴミ拾いなどの体験学習事業をして川の大切さを学んでいます。川を大切にする意識も高く、工事に関しても多くの地域住民の話し合いの基に行われています。
湧別川ももっと川を大切にした工事をして欲しいものです。見えない命を大切に育てていける場所を残し、それを教えていくことで、目の前にある現実的な事にばかりに左右されない子供達が育つのではないでしょうか。
*つぶやき*
黄卵(さいのう)とよぶ袋を付けたサケの赤ちゃんである。よく冷たい水の中で生まれ育つものである。
弱々しく見えていても実はたくましい。
NO 14 やまべの未来2007年1月10日(水)
昨年はいろいろな災害がこの地域を襲い、秋には大雨が降り湧別川は数十年ぶりの大はんらんをした。上流の小川から下流まで川の流れ方が大きく変わり、隣接する道路などにも大きな被害がでた。湧別川に沿って走るオホーツク100kmクロカンのコースもあちらこちらで大きく崩れるなどし、やむなく今年は中止になった。
はんらんで大きな被害を受けたのは、川に住む魚たちも同じだ。これから冬を迎えようという時期に住む場所を追われ、川底に住む虫たちもほとんどが流されて餌がなくなった。
最も心配されるのはサクラマスが産卵したあとに、はんらんがが起こったことだ。北海道では春に海から上ってくるサクラマスが、秋に川の上流で産卵してその子供が翌年にヤマベになる。濁流でほとんどの産卵床が流されてしまった可能性が高い。
しかし少しの希望はある。魚は、人間にない予知能力を持っている。災害を予測し流されない場所を見つけて産卵してくれていれば、夏にはいつものように多くのヤマベが見られるかもしれない。
今後、地球温暖化により北海道は東北地方と同じくらいの気温となるといわれています。気温上昇の影響で毎年のように秋に大雨が降り、川からサクラマスやヤマベの姿が消える(そのせいで東北地方ではサクラマスがほとんどいなくなっているそうです)湧別川の未来がそんなことにならないよう、心から願っている。
*つぶやき*
遠軽橋から見下ろした氾濫している湧別川。岸のゲートボール場は水に浸かっている。近くの跨線橋の下はイルカが泳げるほどに水がたまり通行止めになった。自然の力の恐ろしさを感じ、ヤマベの稚魚はどうなるのだろうか!と思った。
No13 美容師の幸せ 2006年8月23日(木)
我が家は美容師一族です。母方の祖母は髪結いや着付けなどの仕事をしていました。母は現在の美容室の創業者で、私の兄弟は三人とも美容師。いとこや叔母にも沢山の美容師がいます。
美容室は土、日が最も忙しくなります。子供が小さいときはよかったのですが、学校に通うようになると、休みが合わせられず、何処かに出かけることもままななりません。運動会や学芸会もお店が忙しいときにはなかなか行ってあげられませんでした。夕食も遅く、寂しそうに待っている顔をみると、子供との関わり合いがだんだんと薄くなっていくような気がしました。
そんなことから、できるだけPTAの役員を引き受けるようにしました。一五年ほど前のことです。役員の多くはお母さんなので仕事柄早くうち解けることが出来たと思っています。先生や父兄といろいろな話をすることによって子供の学校での様子が分かり、子供達との会話もはずむようになりました。家庭が明るくなった感じがしました。お店を留守にすることが多くなり、お客様やスタッフには迷惑をかけましたが、子供が学校に通う短い間のことだと割り切ることにしました。
そのかいあってか三人の子供達全員が、学校の作文で将来就きたい仕事の欄に「美容師」と書いてくれました。ほんとうにうれしかったですね。
来年は末の娘も成人式を迎えます。成人式に自分の娘の髪を結い上げるそんな幸せな父親は世の中そういないでしょう。美容師になってよかった!
*つぶやき*
成人式の日に娘の髪を結えて嬉しかった。娘の同級生は、おじさんなんかニタニタしていてあやしいネ!と言われたが気にならなかった。現在東京で美容師をしているが早く遠軽に戻って来て欲しいと想っている。だが難しい!ハ~
No.12 今、一番欲しい物 2006年3月8日(水)
郊外に畑を持っている。その山際にヤチダモの林があって、一昨年の台風で何本かが倒れたり、倒れかかったりしていた。意を決して整理することにしたのだが私自身はチェンソーを使ったこともない。そこで元・営林署員の、妻の父に指導を仰ぐことにした。
木をどの方向に倒すかを、周りの地形や木の状況をよく見て決め、どんな切り込みをいれ、どこまで切るのか。木が倒れるとき、周りの木々を巻き込むため、弓なりになった木をうまく処理しないとはじける力で大けがをする場合があるーなどなど。山で生きてきた人の大切な約束事の一端を知ることができたのは貴重な体験だったし、すごく楽しかった。
さて、その切ったヤチダモ。どうしようか考えてやはりまきにするのが一番だろうという結論になった。かくしてかなりな量のまきが完成する運びになった。最近は灯油の値段が高騰していることもあり、まきストーブが見直されているみたいで、専門の雑誌も登場している。家から出す紙なども燃やすことができるのでごみの量が減る、灰は畑にまくと肥料になって環境にやさしい、などと書いてある。
子供の頃の、あの独特の暖かさを知っている私にとっては、まきストーブは夢の世界。燃えるオーロラのような炎を見つめたり、背中あぶりで昼寝なんて、最高に気持ち良いだろうと思ってしまう。まきストーブが欲しい! けれど我が家には煙突がない。
つぶやき*
現在は薪ストーブを購入し、隣の父の家に取り付けています。宴会でもないかぎり使用する機会がないのが残念です。古くなった薪に虫が付いてきていますので、早く燃やしてしまいたいのですが、今はゆっくりする時間がない!
NO11 屈斜路湖の奇跡 2005年08月23日(火)
最近、休みには屈斜路湖に釣りに出かけるようになりました。自然豊かな湖にいると、大昔の時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えるほどです。
屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖。大正時代に湖底から硫黄が噴出し、強酸性の温泉水が流入してすべての魚が死滅したと言われています。それ以前は一メートルを超すイトウもいたそうです。長い間魚がいないと思われていましたが、平成の時代になって大きなニジマスが釣れたのが話題になり、釣り人が訪れるようになると、アメマスやサクラマス、ヒメマスなど小魚からサケマス類まで沢山の種類の魚が復活しているのが明らかになりました。
大きな川が流れ込んでいない屈斜路湖の水が自然に浄化されるには、もっと長い時間がかかると思われていました。しかし、湖全体が阿寒国立公園に属し、人の力が加えられていない豊かな広葉樹の森に囲まれており、そこからわき出る水が湖を回復させたのです。まさに「屈斜路湖の奇跡」だと思います。 私たちの街を流れ、大切な水を供給してくれる湧別川にも「奇跡」を起こす力を残しておかなくてはなりません。これ以上広葉樹の森を伐採してほしくありませんし、必要のないダムもいりません。どうしても行わなくてはならない川の工事も、コンクリートを大量に使うことなく進めて欲しいと思うのです。
*つぶやき*
大先輩である札幌市の近藤さんとの釣りの一コマです。夏の屈斜路湖。背景は和琴半島で最北のミンミン蝉が大合唱していました。すばらしい大自然の中でヒメマスは釣れても釣れなくても十分に幸せな気分を満喫できました。
No10 ニジマスにも市民権を 2005年3月15日
湧別川にニジマスがすんでいます。ニジマスは昔からすんでいた魚ではないし、他の魚を食べるので「害魚」だと言う人たちも一部にいます。
在来種といわれるイトウやアメマス、オショロコマが数を減らしているのは事実ですが、それをニジマス等の外来魚のせいにするのは短絡的です。最大の原因は、在来魚がすめなくなるほどの川の環境変化です。
もともと湧別川の魚は海と川を行き来していたと考えられています。海で育った魚は大きくて強く、卵の数も多い。そういう魚が上れなくなった川は、魚が小さくなり、細々と生きることになります。そうやって在来種が姿を消しているのだと思っています。
ニジマスは百年以上前に、国の主導で米国から移植され、行政や民間が遊漁資源として放流してきました。美しい魚体と釣り上げるときのファイトが素晴らしいことで、世界中の釣り人に夢や喜びを与えてきた魚です。海と行き来できない湖や川で、少ない餌で大きくなることができる特性も持っています。そんなけなげに一生懸命生きている魚に「害魚」なんてレッテルはあまりにもかわいそうです。市民権を与えて下さい。
魚が海と川を自由に行き来できるように不要なダムや堰(せき)を壊し、豊かな川をつくってから、ニジマスがどこにすむのが幸せなのかを考えてあげたいものです。
*つぶやき*
遠軽町の街中で釣れました。薄暗くならないと釣れない60cmオーバー。近くの川にこんな大きな魚が棲んでいるなんて知らない人も多いのですが、最近湧別川は結構有名で、知る人ぞ知るなのです!
No.9 WANTED カワシンジュガイ 2004年10月6日(木)
カワシンジュガイとは水が清らかな上流部に住む大きな二枚貝。色が黒っぽいので通称で(からす貝)と呼ばれています。
湧別川最大の支流、生田原川の最上流部の清里地区には昔、川底が黒く見えるほどいたそうです。
専門家の最近の研究によると、カワシンジュガイは川の浄化には最も重要な種類の貝で、幼生の時にヤマベ(サクラマス)のえらに寄生するのだそうです。サクラマスと縁の深い貝ということになります。
9月の上旬、清里地区へ行き網走開発建設部が農業かんがい用の堰を計画している付近を見て歩きました。 沢山のサクラマスが産卵していました。
オホーツク海からはるばる100?近くも離れた山奥。この場所がサクラマスやヤマベにとっていかに大切な場所であるかを感じます。堰ができてサクラマスが遡上できなくなった川が各地にありますが、この川をそんな場所にしてはならないとの思いを強くしました。
期待していたカワシンジュガイはこの場所では発見できませんでした。いったいどこへ!最近も湧別川の下流部で最近、貝殻を見ましたので生息してることは確かです。湧別川水系でこのカワシンジュガイを見かけた事がある人はぜひ連絡を下さい。
*つぶやき*
今も湧別川でカワシンジュガイを見つけることができないでいます。しかし道東や道北の川では沢山棲んでいるところもあり、タナゴ飼育用に販売している人も見受けられますが、生態系の維持に大きな問題があると思います。
NO.8 アライ・アパッポ 2004年5月19日(水)
アイヌ語で(チライ・アパッポ)とは福寿草です
チライとは日本最大の淡水魚イトウ。春の雪解け水が出て水量が多くなると上流の小さな川にイトウが上ってきて産卵するため、その時にときに咲く花と名付けたのだそうです。
イトウは現在、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定され北海道内でもほんの一部の地域にしか棲(す)んでいません。かつては湧別川にも沢山の大きなイトウがいました。
私の祖父は、青年時代みんなで釣りに行き、川岸にいた蛇に大きなイトウが襲いかかるのを見たそうです。ものすごい音と水柱がたち、一緒にいた人達は、祖父が川に落ちたと思って助けに来たそうです。
実は現在でも、湧別川にわずかながらイトウがいます。イトウは海から棲み良い川を求めているようです。河口付近で海から入ったばかりの銀色のイトウを見せてもらった事もあります。中流付近に棲みついたイトウを、釣り人がチャッチしてリリースしているのも知っています。
でも今の湧別川はイトウには受難の川かもしれません。コンクリートの堰や堰堤のない小川でないとイトウは産卵できないのです。
春の福寿草の時期には近くの小川に大きなイトウが産卵に上り、サクラマスが遡上し、秋にはサケやカラフトマスが帰ってくる 。そんな湧別川を取り戻したいと活動しています。
*つぶやき*
5月の初旬天塩川下流にて釣り上げたイトウです。
大きな魚は上流に産卵に遡上しているので小型が主体でした。湧別川にも沢山棲んでくれたら、遠くまで行かなくてもいいのだが!いやいや、そんなとこまで普通にいくのがオバカだ!
NO.7 川とお役所 2004年5月19日(水)
湧別川でサクラマス釣りを開放して下さい-。私たちがそんな運動を始めてかなり長い年月がたっています。ただ釣りがしたいと言っているのではありません。サクラマスという魚を通じて川に関心を持ってもらい、自然な川の姿を大切に守って行きたいとの思いからなのです。
しかし現実には取組はなかなか前に進むことが出来ません。私たちの要望に対しての道からの回答はこうです。「漁業関係者の同意が得られない」「湧別川はサケマスの増殖河川であり、現在網走管内のサクラマス資源は自然産卵によるので河川に遡上した親魚の保護が不可欠」....。
今、湧別川のサクラマスは大きな危機を迎えています、最大支流である生田原川の上流部で網走開発建設部が取水堰(せき)と、農業用貯水池をつくる計画を進めているのです。事業予算は91億円だそうです。ところが、その場所こそサクラマスの大切な産卵地になのです。水量が減ってしまうことは自然産卵に大きな影響が有ると環境影響評価(アセスメント)の段階でも充分にわからなかったのでしょうか。
同じ北海道の中の「お役所」が全然方向の違う事業をすることに大きな疑問を感じます。
河口から上流にまで人工物によってせき止められていない川は、国内に数少なくなりました、かろうじて残されている大切な命の源である自然の川を、子供達に残していきたい。そう考えて活動しています。
*つぶやき*
生田原川上流の取水堰の現場です。大切なサクラマスの産卵場所でした。現在は周りも木が切られて貯水池も完成していますが、その水の供給を受けている農家は十軒あるかないかです!我々の税金から約100億円使われていますが。
No.6 「どんこ」の泳ぐ清流に2003年7月30日(水)
子供の頃、私は毎日のように川で遊んでいました。家庭訪問になると先生は、まず川に回って私を引き連れてから家に向かったほどです。
そんな自分にとって最も思い出に残っているのは「どんこ」と呼ばれた魚でした。ミミズを糸で縛ってだんごを作り、木の棒の先にゆわえてぶら下げ、静かに川底に落とすと、一度に二匹も三匹も上がってくるのです。
焼き干しにしてだしにすると、うどんの汁には最高だよと、祖父に喜ばれたものでした。
本名はカジカですが、うごきが鈍そうで、ユーモラスな形をしているのでそう呼ばれていたのです。手ぬぐいですくうこともできる、子供達には最もポピュラーな魚でした。
今、湧別川にその姿はありません。川のずうっと上流に小さいのがいるとの話は聞きましたが、私は見たことがありません。
「どんこ」は比較的流れの緩やかな川底の石の下に棲(す)み、水生昆虫や小さな魚等を食べています。ほとんど川底を離れることもなく、大きく住む地域を変えることもしません。川に流れてくる有害な物は一番先に川底に溜まります。その影響を大きく受けたのが「どんこ」なのだと思います。
湧別川は今、ようやく上流の方にも浄水場が建設されて、浄化が始められています。
あの愛嬌のあるどんこの姿がよみがえる、その時ほんとうに湧別川は清流になれると思います。
*つぶやき*
上流に行くと民家が無くなる地点からは川底が綺麗になるような気がします。最近生田原川の上流で久しぶりにどんこを釣り上げた時には感動しました。とてもいとおしくてそっと頭をなぜて流れにもどしましたが、どんこにとっては迷惑な話だね!
No.4 二兎を追う者2003年1月29日(水)
新しいハサミを買いました。実は美容師のハサミは一般の皆さんが思っているよりもたいへん高価なものです。職場研修にやってくる学生に「このハサミはいくらでしょう」と聞くと「一万円位なの」と言います。実際は、最低でも5倍位から高い物では30倍位の値段がします。
私は今年50歳。同期の美容師で、現役でハサミを持っている人はほとんどいません。業界では「事務所に上がる」といいますが、経営や.教育.協会役員としての仕事に就いています。
私の店も社員が増え、自分も「上がる」ことを真剣に考えていた時期もありましたが、結局、現役をできるかぎり続けることにしました。実際にお客様と接して、ほんとうに喜んで帰って下さる姿を見るのはうれしいものです。
また遠軽というこの地に住んで、魚釣りを通じて自然の豊かさにふれ、共通の趣味を通じた友達にめぐりあい、その仲間が集まりこれからの湧別川の未来を考えていく運動をしています。まったく連動していない2つの目標が、自分にとっては、両方ともとても大切なものです。
新しい人に会うと*私は世界で一番、釣りの上手な美容師です*そう公言してきました。
これからも美容師として釣り師として、やれるかぎり続行してゆく覚悟でいます。 新しいハサミと釣り竿を持って。
*つぶやき*
このハサミ当時30万円ほどしました(高かった!)。
現在も活躍中です。大切に使かっているので、私の美容師生命よりは永く持つはずです!やがて息子や娘に、はては孫の代でも使ってほしいものですが!
No.5 釣り人の責任2003年4月16日(水)
「釣りはスポーツなの」と聞かれることがあります。たしかにそうみえる分野もありますが、魚釣りが他のスポーツとは決定的に違うところがあります。それは、命をもらっていくゲームだからです。外国で、ハンティングとフィッシングには厳しいルールがあるのはそのためです。
北海道には厳格なルールがありませんし、ほとんどの釣り人は気にもしていません。釣果ばかりが大切にされ、いかに楽しく、獲物をいかにおいしく食べたなどの大切な部分が欠けているのです。
外国にはバッグリミットという言葉があります。釣り上げた獲物を何匹まで持ち帰れるのかというきまりです。いろいろな魚に対して大きさと、釣る量が決められているのです。
北海道には基準がありませんから、釣り人は自分自身でリミットを決めなくてはなりません。そうしなければ魚はいなくなり釣りの楽しみもなくなります。目安としては、自分の家庭で食べて処理できる数にしましょう。どんな魚でも大切に扱いきちんといただいて下さい。決して畑の肥料や猫のえさにするものではありません。
キャッチアンドリリースという言葉があります。釣った魚をそのまま逃がすという意味ですが、それとて魚に大きなダメージとストレスを与えていることに変わりはないのです。
*つぶやき*
1995年カナダにスチールヘッド(降海型のニジマス)を釣りに行きました。余暇を利用して釣りに来ているアメリカ人と一緒。彼は普段フロリダで釣りのガイドをして生活しています。予約は20年先まで埋まっています。日本もプロのガイドが生活していける制度造りが必要。なぜなら川や周り環境を守っていくのも彼らの大切な仕事なのです。
No.2 空から見た湧別川2002年7月24日(水)
機会があって、ヘリコプターに初めて乗せてもらいました。少し不安もありましたが、天気も最高で、湧別原野からサロマ湖までの景色を空から堪能しました。実は、今回私が一番楽しみにしていたのは空から湧別川を見て、誰も知らない秘密のポイントを発見して、ひそかに一人で釣りに行くことでした。
上空からみると、流域にはこんなに畑があったのかと緑の広さに驚くと同時に、楽しみにしていた湧別川の小ささに驚きました。原野を耕し私達の生活をささえてきたはずの川が、あまりにも小さく見えたのでした。本流は昨年の大雨による護岸工事が至るところで行われ、ずたずたの状態で、コンクリートの散乱している場所がめだちます。支流にいたっては、細いまっすぐなコンクリートの溝のようです。
ヘリコプターは最高でしたが、がっかりしたのは川の姿です。みんなが感心をもたないうちに、実は川は排水溝に変えられていたんだという現実を見せつけられた気分でした。流域に住んでいる人達が未来にどんな形の川を残していくのかをもっと真剣に考えなくてはいけません。
ひょっとして、私たちが知らないうちに、いまさら湧別川にダムが計画されていないだろうかと、心配になって地上に着いた。
*つぶやき*
湧別川は大きく姿を変えています、街に住む人間として、ある意味生活を守るために必要な部分もあります、しかしだからこそ守らなくてはならない部分もあるはずです
No.3 湧別川特区2002年10月9日(水)
国の構造改革特区といふ制度ができて湧別川流域の3町が湧別川におけるサクラマス釣りを解放してほしいとの要望を出しました。海から上流域まで移動するサクラマスを通じて流域の地域の活性化をはかりたいとの願いがあります。
本州の中には、サクラマス釣が解放されている地域が何河川かありますが、魚の絶対量が極端に少ないためほとんど幻の魚状態です。そのため釣り人の間ではぜひもっとサクラマスの多い地域で一度でいいから釣り上げてみたいとの希望があります。北海道の中ではサクラマス釣が解放されている地域はありません。
最初に、湧別川の町村が川の漁業権を持ち、料金を徴収してそのお金を、川の流域の森林の保全や魚の増殖事業にあて、豊かな川づくりをしてゆく。
また全国に発信して多くの人達に春の北海道の一番いい季節に来てもらい、広く豊かな川でゆっくりと釣りを楽しみ、流域の色々な花造りや施設を見て、沢山ある温泉に浸かってもらい、季節の野菜や山菜や特産物を食べてもらう。そんな意味合いでもこんなに恵まれている地域は他にはないはずです。
我々の願いはただ魚を釣ることだけではありません。
湧別川に沢山の魚があふれ多くの釣り人や野生の動物がその恩恵にあずかり、地域に住む人達がなんてすばらしい処なんだろうと思える町にすることです。
国の特区構想の狙いもそんなことなんだろうと信じていますが、結果はいかに?
*つぶやき*
昭和初期の遠軽橋からの風景画です。水量が現在よりかなり多い湧別川。私が高校生の頃には橋から飛び降りた強者もいたほど深かった。「赤胴焼き」さんに飾ってありますよ。
「特区」構想は結局道庁の反対で実現不可能に。道庁に相談するなんて国の構造改革特区の意味なしです!
No.1 湧別川の願い 2001年11月01日(木)
人口1万8000人の町の真ん中を流れ、国道の橋の直下で自然のヤマメが釣れる川があります。
湧別川。春には海からサクラマスが遡上し、秋には鮭やカラフトマスが産卵のため帰ってくる。
緑豊かな7月には「オホーツクフィッシングin湧別川大会」が流域の町村で開かれ、道内外の釣
りフアンでにぎわう。道外の釣り人には、地元の歓迎ぶりと自然の豊かさはよく知られており、
「釣りをしてみたい北海道の川」のベスト3に名を連ねている。
湧別川は、流域に暮らす人々の水道水であり、水洗トイレの終末水も川に流れ、たまねぎの畑を
潤し、豊かなオホーツクの海をつくる手助けもしている。湧別川は流域の住民の生活を支え、産
業振興にとってかけがえのない川なのだ。
その川が近年、傷んでいる。水質が悪化し、川底に住むカジカ類はほとんど全滅してしまった。
流域の山の木の伐採でよりすこしの雨でも氾濫し、流れが毎年のように変わってしまう。コンク
リートによる改修工事で川は巨大な排水溝に姿を変えつつある。
そんな川の惨状に心を痛める仲間達が集って今春、「サクラマスを考える会」を結成した。川の
流域を行き来するサクラマスという魚の視点を通じて、湧別川の在り方を探るのが目的だ。手始
めに、今年は地元カヌークラブの協力を得て、支流を含めサクラマスの産卵場所を調査し、マッ
プにする予定。流域に住む人々は湧別川の恵みに感謝しています。
しかし私たちは、いったいこの恵みの川にどんな恩返しをしてあげられるのだろう?
*つぶやき*
湧別川のサクラマスを考える会は流域の釣りクラブ「ポテト・バイン」のメンバーが中心。
今でも自分たちで建てたログハウスに集まっては釣りの自慢話に花を咲かせます。この仲間
達とは一生楽しくつきあうことができます。最高です!
湧別川とともに
その川を見続けてきた
川も街も少しづつ姿をかえていくが
自分の釣りへの情熱は
いつまでも変わらない
湧別川とともに流れ続ける
街と魚と釣りへの想い