No.1 2011年1月11日(火)「フーリガン」

オホーツク地方では、海岸近くの川や湖が結氷し始めると、釣り人が防寒服に身を固めて釣り場に殺到します。 氷下釣りは多くの人の冬の一番の楽しみです。釣れる魚は主にチカ、キュウリウオ、ワカサギ、コマイ。私が一番好きなのはキュウリウオ釣りです。秋に釣ったサケの皮を餌にして釣り、薄塩で干してそのまま食べるのも良いし、燻煙をかけて食べるとこれまた最高。  魚食性のキュウリウオは下あごが出ていて鋭い歯をしている為、少しいかつい顔に見え、アラスカではフーリガン(ならず者)とありがたくない名前で呼ばれていますが、現地の人は干して貴重な食料としています。サハリンでも市民が販売目的で釣りに行き、熱中して足元の氷が割れるのに気づかず、沖へ流されてしまうほどです。 しかし当地では、チカに人気があり、キュウリウオは割にぞんざいな扱いを受けている事が多く見受けられます。釣れても持て余して、「どこの家でも、もう魚いらんよな」とぼやく姿を見かけます。氷の上に捨てて置いたり、ついでにごみまで投げ散らかしたりする輩もいるようです。 私には、せっかくの自然の恵みを大切にしない人、ごみを投げ散らかす人の方が、よほどフーリガンに見えるのですが。



*つぶやき*
今年は流氷も接岸し寒い日が多かったのでしっかりと結氷した年でした。先日ワカサギ釣りに行きましたが約6Kgの大漁。ソリを引いての帰り道、八甲田山の進軍状態になりようやく帰りました。体力の低下を痛切に感じるこの頃です。




No.2 2011年2月16日(水)「釣りの神様」

幼い頃マー坊と呼ばれた私は、父母とともに仕事が忙しかったので、自然豊かな地方に済んでいた祖父母の家によく預けられました。祖父は近くの小さな川や池で、釣りを教えてくれました。手先が器用で、釣り竿から釣り針までしべて祖父の手作り。 浮きはヨモギの茎、餌はミミズやトンボのしっぽでした。釣れるのはほとんどヤチウグイやカジカ。ブリキのバケツを必死に持ち帰る私に、「マー坊は釣りが上手だな」と言ってくれました。この一言で私の釣り人生が始まったのです。 開拓時代、青年として勇別原野にやってきた祖父にとって食料は自分で取って食べるものだったそうです。流氷が去ったばかりの海岸を歩きながら熊手で毛蟹をかごいっぱいに取った話や、竹ざおに大きなミミズを付けて2尺ぐらいのサクラマスや大きなイトウを釣った話に、私は寝床の中で目を輝かせて聞き入りました。私にとって、祖父は釣りの神様でした 今、私には女の子の孫がいます。これから女性にアウトドアブームが起こるらしいので、孫に釣りを教えて、自分も「神様」になってみたいのですが、周りからは「変な道に引き込まないで」と大ブーイングが起きそう。神様への道のりは険しそうです。



*つぶやき*
昭和30年代初期、俊春おじいちゃんと私。(後ろは当時のエルム美容室) 沢山の思い出が残っています。在りし日の神様の手のぬくもりは、50年以上たった今も忘れることはありません。




No3 2011年3月28日(水) サクラたずねて300里

釣り人にはすっきりしない毎日が続きます。3月に入り春の気配を感じられるようになると、どうしても我慢できなくなり、最近は道南の日本海側の瀬棚・熊石地区へ、サクラマスを狙いに遠軽から1200キロ(300里)を往復しています。  日本海側では真冬でも海岸からのアメマスやサクラマス釣りが盛んで、思い切りさおを振ることができるのです。昨年は、先輩2人と高速道路を乗り継いで「たくさん釣れたらどうしよう」などと話しながら、瀬棚の温泉に泊まりました。  次の日、後志利別川や見市川の河口の海岸など、釣り人には知られたポイントを回ってみるも、ほとんど釣れていないようす。釣り場は長靴を近所の履いたおじいさんから、都会から来たピカピカの釣り道具の若者たちまで、いろいろな釣り人で活気にあふれていました。  われわれも久しぶりにさおの感触を楽しみましたが、春近しといえども、まだ日本海は冬状態。海岸に立って猛烈な寒さの中で何時間も釣りを続けるのは、何かの修行のようです。3人とも1匹も釣れずに帰りましたが、先輩2人は「いやいやおもしろかった、また来年リベンジだ」。春の「サクラ」との出会いを待ち望む心を抑えるのは、実に難しいようです。



*つぶやき*
瀬棚海岸で釣れた55cm。 サクラマスはなぜかピンク(サクラ色)が釣れる。持っているルアーもピンク色がどんどん増えてしまいます。男はもともとピンク?が好きな人が多いので、見ると衝動買いしてしまいます。私もです!!




No4 2011年5月8日(日)「山わさびはどこに」 

 焼き魚や刺し身に、おろした山ワサビをたっぷり乗せて、熱々のご飯のおかずにする。口の中に春を感じる瞬間です。 おなじみの山菜ながら、意外なことにヨーロッパ南東部原産の外来植物。ローストビーフの付け合わせとして欠かせないもので、明治時代、北米から輸入したそうです。英名は「ホース・ラディッシュ」。寒冷な気候にも強いようで、道内の各地でたくましく自然繁殖しています。  私が子供のころには、近くの堤防や道路のへりにたくさん生えていて、買い取ってくれるお店があったので何十円かのこづかいを稼ぐために、スコップを片手に、自転車のカゴにたくさん積み込んでふらふらしながら帰った記憶があります。  しかしどうしたわけか、その山ワサビも以前生えていた場所で、ほとんど見かけることがありません。乱獲のせいなのか、連作障害のように同じ場所では繁殖が難しい「忌土」現象のためなのか、私には理由は分かりません。  最近は畑で栽培されたものがスーパーなどで多く販売され、食するに困ることはなくなりましたが、強烈にからくて、苦みも強い自然の山ワサビの味には及びません。山ワサビが姿を消しつつある理由、山菜に詳しい方に聞いてみたいものです。



*つぶやき*
わさびには醤油と白いご飯が合います。我が家では一番品質が良くて辛い雪解け直後に収穫し、おろして醤油を混ぜた物を瓶ずめにして保存します(冷凍もOK)。冷や奴にも最高ですしおひたし等何につけてもまいうー・・・です




No.5 2011年6月18日(土) バルタン星人襲来

「バルタン星人発見!」。湧別川流域で一緒に釣りをしていた仲間が叫びます。バルタン星人とは、外来種のウチダザリガニのこと。上流部のダムにはかなりの数が生息しています。ハサミを振りかざして歩く姿はあのウルトラマンのバルタン星人の小型版のようで、私もそう呼んでいます。  あっという間に大繁殖しているところなど、まさに宇宙人のようです。道東の漁協で販売していたことがあり、「体が水平に浮かぶまでしっかりゆでて」と指導を受けて、わが家でも大量に買って来て友人たちとの宴会の料理にしていました。  かなり大型でも身は手の親指の先くらいの量ですが、味はエビに似ていて「なかなかいけるんでない」と思いました。ただ繁殖力の強さからか、湧別川流域の生息水域では水底にすむ他の生物の数が少なく、確実に数を減らす必要があると思われます。捕まえて食べるといいのですが、現在は「特定外来生物」に指定され、生きた状態で運搬するには役所に申請が必要。おいしく食べるために生きたまま持ち帰って、きれいな水の中で数日間、泥抜きするには、手続きが要るのです。  その手続きをなるべく簡略化して、捕り方と調理法を広く公開してはどうだろうと思います。川に行くのが大好きなおじさんたちは、



*つぶやき*
日本で一番最初に輸入して放たれたのは摩周湖でした。当時国策で食料増産のため放流したニジマスの餌になるのではとの憶測で入れた物です。摩周湖からいつのまにか誰が持ち出し、どうやってあちこちに移したのかは不思議でなりません。




No.6 2011年7月29日(金) サロマ湖の秘密の味

オホーツク地方の短い夏、サロマ湖でとれたホッカイシマエビを丼に山盛りにしてビールを飲むのが最高だ。ただ、漁師さんの話では、「なしてかわからんけど何年来の不漁だ」そう。今年は値段が少し高めで、丼のエビの盛りも低めだ。  サロマ湖は全国的にホタテとカキが有名だが、地元ではホッカイシマエビに人気がある。食べ方にちょっとしたコツがあり、手際よく早くきれいに殻をむくのは地元民の証しで、よそから来たお客さんには「こやってむくんだぞ」とちょっと得意げに食べ方を教えたりする。  刺し身もいけるが、夏は鮮度が落ちやすいので、ほとんどのエビがとってすぐ塩ゆでにして出荷される。単なる塩味でも加工場によって、塩の量とゆで加減をさまざまに工夫していて、微妙な違いがある。  そのホッカイシマエビにも私が食べたことがない秘密の味付けがあると聞いた。私の美容室に来たお客さまの話では、漁師は出漁時にしょうゆベースのタレを入れた容器を持って出かけ、生きたエビを中に入れて沖漬け風にして自家用で食べているとのこと。その話を聞いたときには、韓国で食べたカンジャンケジャン(ワタリガニのしょうゆ漬)を思い出してしまい、思わずよだれを流してしまった。ぜひサロマ湖でもどなたか製品化して、販売してほしいと思っている


「*ヤンヨムケジャン*」

*つぶやき*
普通ケジャンと呼ばれる多くはこちら、唐辛子やニンニク、しょうが、砂糖などを混ぜた真っ赤なソースに漬けた物、甘辛い味で中の身を殻ごとバリバリかじってチュウチュウすする!食べ出すととまらない




No.7 2011年9月8日(木) サケ釣り協奏曲 

9月の声を聞くと、北海道の海岸ではサケ釣りが始まり、有名ポイントは人と釣りざおであふれ返らんばかりになります。場所によっては、釣り人同士の争いが起きるくらい過熱してきます。釣り人に、次のような症状が表れるとサケ釣りに狂った証拠です。  「今日はどこそこで何本つれたよ」と、得意げに釣れた話しかしなくなったとき。朝早くから夕方まで何時間も釣りをしていながら、1匹でも釣れると、釣れていないほとんどの長い時間のことは一切覚えていなくなったとき。  さらに、毎朝うす暗い時間から、仕事前に釣りに出かけ、夕食後には疲れてすぐに寝てしまうため、この時期は「夜がないんだわ」と感じるのもそう。ひどくなると携帯電話の振動を、あたりと間違える。もちろん私もその中の代表格であるが、そんな皆さんに贈る歌があります。  それは美空ひばりさんが歌っていた、サケならぬ「酒は涙かため息か」です。  運良く大型で銀ピカのイクラがたくさん入ったサケが釣れたときなどには涙が出るほどうれしい。しかし多くの場合は海岸を背にして「ハー」と大きなため息をついてしょんぼりと重い荷物だけをかついで帰るからです

*つぶやき*
枝幸でボートから釣った。 昔は陸からは人が多すぎて釣り場がなかった。今はボートが増えて海上も大混雑している。ただ此処のサケはすばらしい魚体の魚が多い、その魅力に惹かれてついつい遠路はるばる通ってしまう




No.8 2011年10月20日 ほっちゃれ

「ほっちゃれ」という言葉は本州ではもちろんだが、北海道でも若い人たちにはあまりなじみがないらしい。お店の若いスタッフに「ほっちゃれって何だか知ってるかい」と聞いてみたところ、真顔で「(北見の菓子店が製造している)魚の形のお菓子の名前でしょ」と答えた。  実際にも見たことはないらしい。サケやマスが産卵してぼろぼろになった状態で、人間の食用にならないので、ほうっちゃれ(捨ててしまえ)が語源らしいよと教えた。  川のごみのように言われていた時代もあったが、今では自然の川にとって大切な役割を持っていることが分かっている。動物やバクテリアの力を借りて分解されることで、多くのミネラルをはじめとする海の養分を川の上流部にもたらしているのだ。森と海をつないでいると言っていい。  実際、ほっちゃれが多くいる河川の上流部ほど森林が豊かであるとのことだ。しかし、北海道でも最近はほっちゃれを目にすることは多くない。サケやマスはほとんどの河川で、捕獲場で捕らえられてしまうか、堰やダムがあるために上流部まで上がることができないからだ。大自然の恵みであるほっちゃれを見ることができる豊かな川がもっとたくさんあっていいはずだ



*つぶやき*
北見市のお菓子ほっちゃれです。中にあんこがぎっちりつまっていて甘い物好きの私にはたまりません。熊の様に頭からむしゃむしゃと3匹はやっつけてしまいますが、私は冬眠しないので体重が減ることがありません。とほほ




No.9 2011年11月28日(月) 美容師の得意技

美容室の家庭で育った私は、ゆったりと食事をすることが苦手だ。目の前に食べ物があると物も言わずに一心不乱に食べてしまいたくなり、食べ終わったらすぐその場を離れたくなる。外国に行ったときにはゆっくりすぎてつらかった。
 子供時代は、店舗と住宅が一緒で住み込みの従業員の人がたくさんいた。食事は当番の人が作り、手の空いている人が大急ぎで食べるのが普通だった。ゆっくり食べるのは犯罪だ。そんな雰囲気であった。
 師走等は特に仕事が忙しくなるため、食べる時間がまちまちで、昼食の人と夕食の人の区別もなくなり、集金に来る銀行員のお兄さんや営業の問屋のおじさんも時間があると適当に食卓に参加して、さらに混雑した状態となっていた。
 大みそか、最後お客さまはお店を閉めた後の商店街の人たちだ。紅白歌合戦は待っている近所のおばさん方も一緒に見ていた。除夜の鐘がなるころに最後のお客さまが終わり、従業員も自宅に帰る。家の中は一挙にガランと静まりかえり、疲れて抜け殻の様になった母と父の作った年越しそばを家族で食べた。
 そんな戦場みたいだった美容室の姿は、今のわが家にはないが、私には熱い物は熱いうちに、冷たい物は冷たいままで食べてしまえる得意技が残った。


*つぶやき*
昭和30年代エルム美容室と母の実家の真鍋美容室のスタッフが合同でお花見に出かけた。この当時の父は体重が
90kg以上あったらしい。しかし遺伝とは恐ろしいもので今の私は体型がそっくりである。




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