NO.18「冬葉」2012年12月11日
冬葉
今年のオホーツク海のサケ釣りは予想に反して大漁で
あった。特に網走や斜里方面に出かけた人は「もう配
る所もないし、冷凍庫もいっぱいだ」とか「処理でき
ません」とカミさんに怒られるので、「釣りにもいけ
ないわ」と嘆くつわものも多かったと聞く。
おかげで我が家でも思う存分、石狩鍋やイクラ丼を食
べる事ができた。11月の中旬になると、イクラを取っ
た雌サケを冬葉にする。少しブナがかった雌が油焼け
しづらくて保存が利くので使いやすいし、オスは他に
色々な食べ方があるのと、身が厚いので干し上がるの
に時間がかかるからだ。
作り方は、尻尾はつけたままで3枚おろしにし、中骨を
取り、3、4つの短冊に切る。短冊の身にさらに細かい
切れ込みを入れたら一度しっかりと塩漬けにして身を
引き締める。その方が塩水につけた場合よりも旨味が
凝縮される気がするからだ。2、3日後に流水で洗って
塩抜きをしながら味加減を見て、良ければ外に干す。
今だと時期的に虫はいないと思うが、カラスに食べら
れるので、注意と対策が必要だ。個人の感想だが、み
りんや白じょうゆに漬けたりいろいろ試したが、シン
プルに塩だけで味付けしたものが食べていても飽きな
い。硬く干し上がった皮付きの冬葉を薪ストーブの上
であぶって食べると最高である。
つぶやき*no18
日本語は本当に美しいと思う。軒下にぶら下がる干しサ
ケをみて冬葉と表現する事ができる外国語はないであろ
う。しかしこれからの日本人もそんな感性の人達はどん
どん減ってゆき、ドライシャケとか言い出すだろうね。
No.17「きねずみ」2012年11月2日
きねずみ
秋が深まり動物たちが冬ごもりに備えて活発に活動を
始めたらしく、道路で車にひかれたエゾリスを目にした。
昔は森林が豊かで、至る所にたくさんいたためか、エゾ
リスを「きねずみ」と呼ぶ人が多かった。
鉄道員だった祖父は石北線の常紋信号所(北見市留辺蘂
町金華)という山の奥で暮らしていたことがあった。
真冬の最中、祖父の家に毛皮を着た10人ほどのアイヌ
民族の男性が線路沿いに歩いてきて、「このあたりで
熊が冬眠していそうな場所はないか」と尋ねたそうだ。
その人達は少しの塩だけを持って、山の中で小動物など
を狩猟しながら過ごし、熊を仕留めると集落に帰ってい
ったという。そんな話を聞いて、きねずみという動物も
食料になるかもしれないと子供心に思った。祖父の影響
で、野山を回るのが大好きになった私は、きねずみを発見
するや執拗に追いかけ回し、パチンコで撃ったり、石を
投げたりした。
木から木へ飛び移り、素早く木の裏側へ逃げるきねずみ
にたまたま石が当たった事があった。初めて手にしたき
ねずみは、とても食料とは思えず、どんどん冷たくなって
ゆく姿に強い罪悪感だけが残った。
そのせいか、今でもエゾリスを見ると少し心が痛む。
つぶやきno17
リス達はあの堅いクルミを前歯で簡単に半分に割って食べる。
羨ましい。最近歯がだめになって部分入れ歯を入れてしまった私は、干したコマイも冬葉(トバ)もしっかり噛むことが出来ないので寂しい。
No.16「幸せの粒々」2012年9月25日
幸せの粒々
長年釣りをしていると掛かったサケがオスなのかメスなのかだいたい予測できるようになってくる。うまく説明はできないがオスサケは概して大きく幅広な体型なので、掛かった瞬間から鋭角的に力強く豪快にあばれるが、最後は力尽きるのが早めだ。それに対してメスサケはやや丸い体型のせいなのか、割合すんなりと近くまで寄ってくるが最後まで粘り強くファイトする場合が多い気がする。
人間の男性と女性にも似たようなあてはまる部分があるのがおもしろい。雌のサケが掛かったとわかると、イクラ丼を前にワーイと歓声を上げる孫の姿がちらつき思わず竿を握る手に力が入りすぎて、逃げられる場合があった。無心でサケと対峙することが必要だ。釣った魚は自分でさばくのが我が家のルールだ。醤油イクラ、塩イクラ、筋子、筋子の味噌漬どれもおいしいが、お正月の定番である筋子の粕漬も必要なので迷うところだ。そんな事を考えながら、サケのお腹を開きずっしりとした新鮮なオレンジ色の粒々の卵を手にするとなぜか幸せな気分になれる。今年のサケの回帰予測が発表されているが不漁との予測だ。私が釣りに行く回数も体力低下等によりかなり減ってきている。幸せの粒々を楽しめるかどうかは私の腕にかかっているので心配だ。
*つぶやき*
アメリカ人はイクラを食べようとしない!
カナダでもサケの卵は捨てていた。粒々の
感じが不気味らしい。それは喜ばしい事で
ある。1Kgのステーキを食べてしまう大食漢
の彼らが毎日丼一杯のイクラを食べたら、
太平洋のサケは全滅していたにちがいない!
No.15.怒る川「2012年8月16日」
最近大雨による被害が各地で後を絶たない。遠軽でも以前は
あまりみかけたことがないような強い雨が狭い範囲に降り、
局地的に川が増水して濁りがある日が増え、釣に行く事が出
来ないのが残念だ。
湧別川は毎年のように河川改修が行われているが、効果はど
うなのだろう。普段の穏やかな湧別川は、川底が見える程浅
いが、私が子供の頃は橋から川に飛び込む猛者がいたほど深
かった。川が蛇行していた時代は、上流から物を落とすと、
海まで2日以上はかかると言われててきたが、現在では、ダム
さえなければ、1日かからないだろうと言われる程直線的にな
った。穏やかな川の状態を想定して、多くの街では堤防の\内側
にさまざまな公園や運動場が造られている。市街に近くて広い
場所は便利には違いないが、大都会ならいざしらず、河川敷以
外にだって土地のある田舎でも同じ光景だ。
大雨が降ると、川は一気に水量を増して氾濫するため、おおく
の施設には被害被害が出て、改修を余儀なくされる。そこはか
つて川が流れていた場所であることを忘れてはいないだろうか?
大雨が降り、狭い水路のようになった川の中を一気に掛け下る
水の勢いはすさまじく、人の力などは微力である。
流れ下る水の形相は、私には、閉じ込められた川が怒っている
かの様に見える
*つぶやき*
遠軽は災害の少ない地域だと言われている。
地震もないし台風も来ないのでたしかにそう
感じる。しかし安心はしていられない。昔大
雨で湧別川が氾濫したり、津波が上流まで遡
ってきた話を孫じいちゃんから聞いている。
No.14. オスプレイ「2012年7月8日」
ライギョ釣りに以前はまっていた私は夏の時期、毎週のように
天塩川水系に片道3時間半かけてでかけていた。水にどっぷりと
漬かりながら、カエルのルアーを投げる私の目に突然、空から
大きな何かが落ちて来た。水柱と共にライギョを捕まえて再び
空へ舞い上がる鳥の姿に驚いた。それが初めて見るミサゴだった
後から調べてわかったのだが、ミサゴはタカの仲間で、主に魚を
捕って食べている。しかし北海道では私の様に沼や湖によく出か
ける人以外は、数が少ないためほとんど目にする機会はないと思
われる。大きくて白と黒のコントラストがきれいな鳥だ。自分と
同じ「魚好き」というだけで、私はミサゴが好きになってしまい
見つけるととてもうれしくなる。
最近は夏の屈斜路湖でボートに乗りヒメマス釣りをしていると良
く見かける。オジロワシやトビなどは弱って湖面に浮かんでいる
魚しかつかめないが、ミサゴは違う。魚を発見すると空中でホバ
リングをして、水中の元気な魚をつかみ、水に漬かった状態から
空へ飛び立つことが出来る。かなり大きな重そうな魚も持ち上げ
ているのをみた。オスプレイという名前がついているアメリカ製
の軍用機があう。事故のニュースがたびたび報じられ、性能が問
題視されている。ミサゴは英語でオスプレイ。墜落することのな
いミサゴにとって、一緒にされるのは不満だろうね。
*つぶやき*
飛行機オスプレイの墜落の原因は人間の
操縦能力が機械に追いつかないためらし
い。どんなに文明が進化したとしても所
詮ミミズ一匹作ることはできていない。
自然界の中の生物として生きる為にお金
と能力をつかわなくてどうするね。
No.13.「シカとアザラシ」2012年5月29日
私が子供時代、野生のエゾシカを見かけた事はなかった。遠軽神社
の公園にみーちゃんと呼ばれる雄シカが飼われており、近くにある草
をむしって、金網ごしに食べさせて遊んだ記憶があるだけだ。
シカはクマと違い、人には直接害を与えないかわいいイメージがある
ためか、狩猟では雌は撃ってはいけないなどの強い規制がかけられ保
護されていた。だ数が増えた今では、車との衝突も頻繁になった。
畑や森林の被害も相当な金額になり、最近ではヘリコプターを使い自
衛隊まで参加して、この地域でも本格的に駆除している。私が最近心
配しているのは、こちらでは「とっかり」と呼ばれるアザラシたちである
オホーツク沿岸ではも見かけることが多くなった気がする。
最近の事だが「サロマ湖内の港でニシンが釣れるよ」との情報をもらい
友人と出かけてみた。人間を気にする事なく港の中で悠然とニシンを追
いかける何頭ものアザラシの姿に驚いた。流氷の状態や魚の量によって
北方からやってくる数が変わるらしいが、その生態はよくわからない部
分の多いらしい。しっかりと調査して、漁業被害の拡大を防いでほしい。
「ゴマちゃん」などのかわいいキャラクターは子供達に人気がある。
紋別のオホーツクのトッカリセンターは私の孫もお気に入りの場所だ。
アザラシにエゾシカと同じ様な道を歩ませてはならないと思う。
*つぶやき*
今年はサロマ湖周辺ではニシンが30年ぶり
の大漁だった。おかげで港内釣りでも少し
ねばると200匹はりっぱな魚体のが釣れた
このサイクルでは私が生きている間にこん
なに釣れることはないはずだ!
夢よもう一度。
No.12「黒曜石の川」2012年4月19日
北大雪に流れを発しオホーツク買に注ぐ湧別川は黒曜石(十勝石)
の多い川である。子供時代には川原で黒曜石を探し、割って遊ん
でいた。中に赤い模様があるのを「赤十勝」と呼んでいて、貴重
だったので、見つけると嬉しかったのを思いだす。
国内最大の黒曜石の産地である湧別川上流のオホーツク館内遠軽町
白滝地区は、2010年に「日本ジオパーク」として認定された。オー
プンしたばかりの交流センターでは、黒曜石の事を学習でき、黒曜石
の赤い部分がどうしてできたのかも初めて分かった。
ここでは、旧石器時代の石器の展示も見る事が出来る。地元の学芸員
によると、はるか1万2千年前の旧石器時代に、湧別川の上流で黒曜石
の石器が作られていた。20箇所の遺跡の中から767万点もの石器類が
見つかっているとの話だ。
私の青年時代、ダムや砂防ダムがなかった湧別川の上流では、オショ
ロコマや大きなアメマスがたくさん釣れた。旧石器時代の人たちも川
の魚を貴重な食料にしてかもしれない。黒曜石があり、清流があるこ
の地域が、その時代北海道の中心地だったのではないかーなどと勝手
に想像してしているが、いかに、
*つぶやき*
湧別川にふんだんにある黒曜石はどこにでも
ある石だと思っていた。そうではないと分か
ったのは最近の事である。しかし地元では、
十勝石の名前で呼ばれる事が多い。湧別石と
呼ばれないのは残念だし不満であるが、たし
かに言いにくい!
No.11「日本人の髪質」2012年3月10日(土)
日本人の髪はおおむね黒くて真っすぐだ。多くに人がそう思っている。
髪の色は地球上の住む地域により金髪から黒髪までの違いがあるが、同
じ民族間でも明るい暗いの個人差がある。
髪の縮れ具合を表すにはトロッター係数という尺度があり。数値が100
に近いほど直毛となる。黄色人種の日本人は75~85で、白色人種の62~
72や黒色人種の40~50に比べるとかなり直毛の比率が高い。ほとんどの
人が黒髪で、直毛が多い日本人の場合、それ以外の少数派の人たちは時に
より誤解を受ける。
入学時に縮れた髪や明るい髪の人は「パーマネントやヘアーカラーはして
いません」と申告させられたり、職場では、髪色が明るいと「黒く染めて
きて下さい」と言われたりする。「きょうだいがたくさんいた中で私だけ
が縮れた髪をしていた。子供のころからそのことでからかわれたりいじめ
られたりした。髪のせいで縁談もなかなか難しいと言われた。
どうして私だけと親をうらんだりしたよ」。以前、私がカットを担当して
いた高齢のおばあさんが打ち明けてくれた。
髪の縮れ具合や明るさは身体的特徴で、あり個性である。皆が黒くて真っ
すぐな髪ではないことを理解し、それによる差別をしてはならない。
おばあさんの話を聞いて強く思った
*つぶやき*
最近娘は学校で髪色を黒くしてきてと言われた母親が来た。怒っていた。
髪色は明るい家計のようだった。話を聞いて思ったが先進国の中で他の国
でそんな事はありえないんだろうね!
すべての人種がいてすべての髪の人がいるはずだから!
No.10.「雪原を行進する訳」2012年1月30日
夜の凍った野取湖の上。気温は氷点下10度以下で風が強く、遮る物がない為めちゃくちゃ寒い。駐車場の黄色いライトをバックに、黙々とソリを引いて歩く。30分ほど沖に歩くと釣り場に到着する。10個ほど穴を掘って釣り竿を仕掛ける。
狙いはコマイ。氷下魚と書いてカンカイとも呼ばれる。暗い時間帯に活発に活動するので、夜釣になる。発光ダイオード(LED)のヘッドライトは寒さで乾電池の電圧が低下する為、30分位で暗くなる。予備を持って行き、懐で暖めておいて取り替えながら使う。うまくいくと次々にコマイが掛かり、氷の上で瞬間冷凍になっていく。2,3時間すると100匹(20K強)ほどの釣果になり1人で運ぶ限界となる。帰りは吹雪模様になる日が多い。薄明るく見える駐車場のライトを目指して暗闇を歩くが、荷物が重たいので休み休み歩かなくてはならない。
息が上がり、顔のひげも凍って、映画で見た八甲田山の進軍の兵士のようである。
「そこまでして釣に行かなくてもいいしょ」と良く言われるが、鮮度が良くプリプリのコマイのタチ(白子)をさっとゆで、冷たい水で洗いポン酢をたっぷり掛けて食べるタチポンの味は絶品である。
それは雪原を行進した、釣り人だけに与えられる。
*つぶやき*
コマイが氷上で釣れるのが確立されたのはごく最近である。
タチが入っているのは1月いっぱいで、卵は糸こんにゃくと
子和えにするとうまい。産卵が終わると沖にちらばり釣れな
くなり釣り人もいなくなる。
No.9 2011年11月28日(月) 美容師の得意技
美容室の家庭で育った私は、ゆったりと食事をすることが苦手だ。目の前に食べ物があると物も言わずに一心不乱に食べてしまいたくなり、食べ終わったらすぐその場を離れたくなる。外国に行ったときにはゆっくりすぎてつらかった。
子供時代は、店舗と住宅が一緒で住み込みの従業員の人がたくさんいた。食事は当番の人が作り、手の空いている人が大急ぎで食べるのが普通だった。ゆっくり食べるのは犯罪だ。そんな雰囲気であった。
師走等は特に仕事が忙しくなるため、食べる時間がまちまちで、昼食の人と夕食の人の区別もなくなり、集金に来る銀行員のお兄さんや営業の問屋のおじさんも時間があると適当に食卓に参加して、さらに混雑した状態となっていた。
大みそか、最後お客さまはお店を閉めた後の商店街の人たちだ。紅白歌合戦は待っている近所のおばさん方も一緒に見ていた。除夜の鐘がなるころに最後のお客さまが終わり、従業員も自宅に帰る。家の中は一挙にガランと静まりかえり、疲れて抜け殻の様になった母と父の作った年越しそばを家族で食べた。
そんな戦場みたいだった美容室の姿は、今のわが家にはないが、私には熱い物は熱いうちに、冷たい物は冷たいままで食べてしまえる得意技が残った。
*つぶやき*
昭和30年代エルム美容室と母の実家の真鍋美容室のスタッフが合同でお花見に出かけた。この当時の父は体重が
90kg以上あったらしい。しかし遺伝とは恐ろしいもので今の私は体型がそっくりである。
No.8 2011年10月20日 ほっちゃれ
「ほっちゃれ」という言葉は本州ではもちろんだが、北海道でも若い人たちにはあまりなじみがないらしい。お店の若いスタッフに「ほっちゃれって何だか知ってるかい」と聞いてみたところ、真顔で「(北見の菓子店が製造している)魚の形のお菓子の名前でしょ」と答えた。
実際にも見たことはないらしい。サケやマスが産卵してぼろぼろになった状態で、人間の食用にならないので、ほうっちゃれ(捨ててしまえ)が語源らしいよと教えた。
川のごみのように言われていた時代もあったが、今では自然の川にとって大切な役割を持っていることが分かっている。動物やバクテリアの力を借りて分解されることで、多くのミネラルをはじめとする海の養分を川の上流部にもたらしているのだ。森と海をつないでいると言っていい。
実際、ほっちゃれが多くいる河川の上流部ほど森林が豊かであるとのことだ。しかし、北海道でも最近はほっちゃれを目にすることは多くない。サケやマスはほとんどの河川で、捕獲場で捕らえられてしまうか、堰やダムがあるために上流部まで上がることができないからだ。大自然の恵みであるほっちゃれを見ることができる豊かな川がもっとたくさんあっていいはずだ
*つぶやき*
北見市のお菓子ほっちゃれです。中にあんこがぎっちりつまっていて甘い物好きの私にはたまりません。熊の様に頭からむしゃむしゃと3匹はやっつけてしまいますが、私は冬眠しないので体重が減ることがありません。とほほ
No.7 2011年9月8日(木) サケ釣り協奏曲
9月の声を聞くと、北海道の海岸ではサケ釣りが始まり、有名ポイントは人と釣りざおであふれ返らんばかりになります。場所によっては、釣り人同士の争いが起きるくらい過熱してきます。釣り人に、次のような症状が表れるとサケ釣りに狂った証拠です。
「今日はどこそこで何本つれたよ」と、得意げに釣れた話しかしなくなったとき。朝早くから夕方まで何時間も釣りをしていながら、1匹でも釣れると、釣れていないほとんどの長い時間のことは一切覚えていなくなったとき。
さらに、毎朝うす暗い時間から、仕事前に釣りに出かけ、夕食後には疲れてすぐに寝てしまうため、この時期は「夜がないんだわ」と感じるのもそう。ひどくなると携帯電話の振動を、あたりと間違える。もちろん私もその中の代表格であるが、そんな皆さんに贈る歌があります。
それは美空ひばりさんが歌っていた、サケならぬ「酒は涙かため息か」です。
運良く大型で銀ピカのイクラがたくさん入ったサケが釣れたときなどには涙が出るほどうれしい。しかし多くの場合は海岸を背にして「ハー」と大きなため息をついてしょんぼりと重い荷物だけをかついで帰るからです
*つぶやき*
枝幸でボートから釣った。
昔は陸からは人が多すぎて釣り場がなかった。今はボートが増えて海上も大混雑している。ただ此処のサケはすばらしい魚体の魚が多い、その魅力に惹かれてついつい遠路はるばる通ってしまう
No.6 2011年7月29日(金) サロマ湖の秘密の味
オホーツク地方の短い夏、サロマ湖でとれたホッカイシマエビを丼に山盛りにしてビールを飲むのが最高だ。ただ、漁師さんの話では、「なしてかわからんけど何年来の不漁だ」そう。今年は値段が少し高めで、丼のエビの盛りも低めだ。
サロマ湖は全国的にホタテとカキが有名だが、地元ではホッカイシマエビに人気がある。食べ方にちょっとしたコツがあり、手際よく早くきれいに殻をむくのは地元民の証しで、よそから来たお客さんには「こやってむくんだぞ」とちょっと得意げに食べ方を教えたりする。
刺し身もいけるが、夏は鮮度が落ちやすいので、ほとんどのエビがとってすぐ塩ゆでにして出荷される。単なる塩味でも加工場によって、塩の量とゆで加減をさまざまに工夫していて、微妙な違いがある。
そのホッカイシマエビにも私が食べたことがない秘密の味付けがあると聞いた。私の美容室に来たお客さまの話では、漁師は出漁時にしょうゆベースのタレを入れた容器を持って出かけ、生きたエビを中に入れて沖漬け風にして自家用で食べているとのこと。その話を聞いたときには、韓国で食べたカンジャンケジャン(ワタリガニのしょうゆ漬)を思い出してしまい、思わずよだれを流してしまった。ぜひサロマ湖でもどなたか製品化して、販売してほしいと思っている
「*ヤンヨムケジャン*」
*つぶやき*
普通ケジャンと呼ばれる多くはこちら、唐辛子やニンニク、しょうが、砂糖などを混ぜた真っ赤なソースに漬けた物、甘辛い味で中の身を殻ごとバリバリかじってチュウチュウすする!食べ出すととまらない
No.5 2011年6月18日(土) バルタン星人襲来
「バルタン星人発見!」。湧別川流域で一緒に釣りをしていた仲間が叫びます。バルタン星人とは、外来種のウチダザリガニのこと。上流部のダムにはかなりの数が生息しています。ハサミを振りかざして歩く姿はあのウルトラマンのバルタン星人の小型版のようで、私もそう呼んでいます。
あっという間に大繁殖しているところなど、まさに宇宙人のようです。道東の漁協で販売していたことがあり、「体が水平に浮かぶまでしっかりゆでて」と指導を受けて、わが家でも大量に買って来て友人たちとの宴会の料理にしていました。
かなり大型でも身は手の親指の先くらいの量ですが、味はエビに似ていて「なかなかいけるんでない」と思いました。ただ繁殖力の強さからか、湧別川流域の生息水域では水底にすむ他の生物の数が少なく、確実に数を減らす必要があると思われます。捕まえて食べるといいのですが、現在は「特定外来生物」に指定され、生きた状態で運搬するには役所に申請が必要。おいしく食べるために生きたまま持ち帰って、きれいな水の中で数日間、泥抜きするには、手続きが要るのです。
その手続きをなるべく簡略化して、捕り方と調理法を広く公開してはどうだろうと思います。川に行くのが大好きなおじさんたちは、
*つぶやき*
日本で一番最初に輸入して放たれたのは摩周湖でした。当時国策で食料増産のため放流したニジマスの餌になるのではとの憶測で入れた物です。摩周湖からいつのまにか誰が持ち出し、どうやってあちこちに移したのかは不思議でなりません。
No4 2011年5月8日(日)「山わさびはどこに」
焼き魚や刺し身に、おろした山ワサビをたっぷり乗せて、熱々のご飯のおかずにする。口の中に春を感じる瞬間です。
おなじみの山菜ながら、意外なことにヨーロッパ南東部原産の外来植物。ローストビーフの付け合わせとして欠かせないもので、明治時代、北米から輸入したそうです。英名は「ホース・ラディッシュ」。寒冷な気候にも強いようで、道内の各地でたくましく自然繁殖しています。
私が子供のころには、近くの堤防や道路のへりにたくさん生えていて、買い取ってくれるお店があったので何十円かのこづかいを稼ぐために、スコップを片手に、自転車のカゴにたくさん積み込んでふらふらしながら帰った記憶があります。
しかしどうしたわけか、その山ワサビも以前生えていた場所で、ほとんど見かけることがありません。乱獲のせいなのか、連作障害のように同じ場所では繁殖が難しい「忌土」現象のためなのか、私には理由は分かりません。
最近は畑で栽培されたものがスーパーなどで多く販売され、食するに困ることはなくなりましたが、強烈にからくて、苦みも強い自然の山ワサビの味には及びません。山ワサビが姿を消しつつある理由、山菜に詳しい方に聞いてみたいものです。
*つぶやき*
わさびには醤油と白いご飯が合います。我が家では一番品質が良くて辛い雪解け直後に収穫し、おろして醤油を混ぜた物を瓶ずめにして保存します(冷凍もOK)。冷や奴にも最高ですしおひたし等何につけてもまいうー・・・です
No3 2011年3月28日(水) サクラたずねて300里
釣り人にはすっきりしない毎日が続きます。3月に入り春の気配を感じられるようになると、どうしても我慢できなくなり、最近は道南の日本海側の瀬棚・熊石地区へ、サクラマスを狙いに遠軽から1200キロ(300里)を往復しています。
日本海側では真冬でも海岸からのアメマスやサクラマス釣りが盛んで、思い切りさおを振ることができるのです。昨年は、先輩2人と高速道路を乗り継いで「たくさん釣れたらどうしよう」などと話しながら、瀬棚の温泉に泊まりました。
次の日、後志利別川や見市川の河口の海岸など、釣り人には知られたポイントを回ってみるも、ほとんど釣れていないようす。釣り場は長靴を近所の履いたおじいさんから、都会から来たピカピカの釣り道具の若者たちまで、いろいろな釣り人で活気にあふれていました。
われわれも久しぶりにさおの感触を楽しみましたが、春近しといえども、まだ日本海は冬状態。海岸に立って猛烈な寒さの中で何時間も釣りを続けるのは、何かの修行のようです。3人とも1匹も釣れずに帰りましたが、先輩2人は「いやいやおもしろかった、また来年リベンジだ」。春の「サクラ」との出会いを待ち望む心を抑えるのは、実に難しいようです。
*つぶやき*
瀬棚海岸で釣れた55cm。
サクラマスはなぜかピンク(サクラ色)が釣れる。持っているルアーもピンク色がどんどん増えてしまいます。男はもともとピンク?が好きな人が多いので、見ると衝動買いしてしまいます。私もです!!
No.2 2011年2月16日(水)「釣りの神様」
幼い頃マー坊と呼ばれた私は、父母とともに仕事が忙しかったので、自然豊かな地方に済んでいた祖父母の家によく預けられました。祖父は近くの小さな川や池で、釣りを教えてくれました。手先が器用で、釣り竿から釣り針までしべて祖父の手作り。
浮きはヨモギの茎、餌はミミズやトンボのしっぽでした。釣れるのはほとんどヤチウグイやカジカ。ブリキのバケツを必死に持ち帰る私に、「マー坊は釣りが上手だな」と言ってくれました。この一言で私の釣り人生が始まったのです。 開拓時代、青年として勇別原野にやってきた祖父にとって食料は自分で取って食べるものだったそうです。流氷が去ったばかりの海岸を歩きながら熊手で毛蟹をかごいっぱいに取った話や、竹ざおに大きなミミズを付けて2尺ぐらいのサクラマスや大きなイトウを釣った話に、私は寝床の中で目を輝かせて聞き入りました。私にとって、祖父は釣りの神様でした 今、私には女の子の孫がいます。これから女性にアウトドアブームが起こるらしいので、孫に釣りを教えて、自分も「神様」になってみたいのですが、周りからは「変な道に引き込まないで」と大ブーイングが起きそう。神様への道のりは険しそうです。
*つぶやき*
昭和30年代初期、俊春おじいちゃんと私。(後ろは当時のエルム美容室)
沢山の思い出が残っています。在りし日の神様の手のぬくもりは、50年以上たった今も忘れることはありません。
No.1 2011年1月11日(火)「フーリガン」
オホーツク地方では、海岸近くの川や湖が結氷し始めると、釣り人が防寒服に身を固めて釣り場に殺到します。
氷下釣りは多くの人の冬の一番の楽しみです。釣れる魚は主にチカ、キュウリウオ、ワカサギ、コマイ。私が一番好きなのはキュウリウオ釣りです。秋に釣ったサケの皮を餌にして釣り、薄塩で干してそのまま食べるのも良いし、燻煙をかけて食べるとこれまた最高。
魚食性のキュウリウオは下あごが出ていて鋭い歯をしている為、少しいかつい顔に見え、アラスカではフーリガン(ならず者)とありがたくない名前で呼ばれていますが、現地の人は干して貴重な食料としています。サハリンでも市民が販売目的で釣りに行き、熱中して足元の氷が割れるのに気づかず、沖へ流されてしまうほどです。 しかし当地では、チカに人気があり、キュウリウオは割にぞんざいな扱いを受けている事が多く見受けられます。釣れても持て余して、「どこの家でも、もう魚いらんよな」とぼやく姿を見かけます。氷の上に捨てて置いたり、ついでにごみまで投げ散らかしたりする輩もいるようです。 私には、せっかくの自然の恵みを大切にしない人、ごみを投げ散らかす人の方が、よほどフーリガンに見えるのですが。
*つぶやき*
今年は流氷も接岸し寒い日が多かったのでしっかりと結氷した年でした。先日ワカサギ釣りに行きましたが約6Kgの大漁。ソリを引いての帰り道、八甲田山の進軍状態になりようやく帰りました。体力の低下を痛切に感じるこの頃です。