No3 2011年3月28日(水) サクラたずねて300里
釣り人にはすっきりしない毎日が続きます。3月に入り春の気配を感じられるようになると、どうしても我慢できなくなり、最近は道南の日本海側の瀬棚・熊石地区へ、サクラマスを狙いに遠軽から1200キロ(300里)を往復しています。
日本海側では真冬でも海岸からのアメマスやサクラマス釣りが盛んで、思い切りさおを振ることができるのです。昨年は、先輩2人と高速道路を乗り継いで「たくさん釣れたらどうしよう」などと話しながら、瀬棚の温泉に泊まりました。
次の日、後志利別川や見市川の河口の海岸など、釣り人には知られたポイントを回ってみるも、ほとんど釣れていないようす。釣り場は長靴を近所の履いたおじいさんから、都会から来たピカピカの釣り道具の若者たちまで、いろいろな釣り人で活気にあふれていました。
われわれも久しぶりにさおの感触を楽しみましたが、春近しといえども、まだ日本海は冬状態。海岸に立って猛烈な寒さの中で何時間も釣りを続けるのは、何かの修行のようです。3人とも1匹も釣れずに帰りましたが、先輩2人は「いやいやおもしろかった、また来年リベンジだ」。春の「サクラ」との出会いを待ち望む心を抑えるのは、実に難しいようです。
*つぶやき*
瀬棚海岸で釣れた55cm。
サクラマスはなぜかピンク(サクラ色)が釣れる。持っているルアーもピンク色がどんどん増えてしまいます。男はもともとピンク?が好きな人が多いので、見ると衝動買いしてしまいます。私もです!!
No.2 2011年2月16日(水)「釣りの神様」
幼い頃マー坊と呼ばれた私は、父母とともに仕事が忙しかったので、自然豊かな地方に済んでいた祖父母の家によく預けられました。祖父は近くの小さな川や池で、釣りを教えてくれました。手先が器用で、釣り竿から釣り針までしべて祖父の手作り。
浮きはヨモギの茎、餌はミミズやトンボのしっぽでした。釣れるのはほとんどヤチウグイやカジカ。ブリキのバケツを必死に持ち帰る私に、「マー坊は釣りが上手だな」と言ってくれました。この一言で私の釣り人生が始まったのです。 開拓時代、青年として勇別原野にやってきた祖父にとって食料は自分で取って食べるものだったそうです。流氷が去ったばかりの海岸を歩きながら熊手で毛蟹をかごいっぱいに取った話や、竹ざおに大きなミミズを付けて2尺ぐらいのサクラマスや大きなイトウを釣った話に、私は寝床の中で目を輝かせて聞き入りました。私にとって、祖父は釣りの神様でした 今、私には女の子の孫がいます。これから女性にアウトドアブームが起こるらしいので、孫に釣りを教えて、自分も「神様」になってみたいのですが、周りからは「変な道に引き込まないで」と大ブーイングが起きそう。神様への道のりは険しそうです。
*つぶやき*
昭和30年代初期、俊春おじいちゃんと私。(後ろは当時のエルム美容室)
沢山の思い出が残っています。在りし日の神様の手のぬくもりは、50年以上たった今も忘れることはありません。
No.1 2011年1月11日(火)「フーリガン」
オホーツク地方では、海岸近くの川や湖が結氷し始めると、釣り人が防寒服に身を固めて釣り場に殺到します。
氷下釣りは多くの人の冬の一番の楽しみです。釣れる魚は主にチカ、キュウリウオ、ワカサギ、コマイ。私が一番好きなのはキュウリウオ釣りです。秋に釣ったサケの皮を餌にして釣り、薄塩で干してそのまま食べるのも良いし、燻煙をかけて食べるとこれまた最高。
魚食性のキュウリウオは下あごが出ていて鋭い歯をしている為、少しいかつい顔に見え、アラスカではフーリガン(ならず者)とありがたくない名前で呼ばれていますが、現地の人は干して貴重な食料としています。サハリンでも市民が販売目的で釣りに行き、熱中して足元の氷が割れるのに気づかず、沖へ流されてしまうほどです。 しかし当地では、チカに人気があり、キュウリウオは割にぞんざいな扱いを受けている事が多く見受けられます。釣れても持て余して、「どこの家でも、もう魚いらんよな」とぼやく姿を見かけます。氷の上に捨てて置いたり、ついでにごみまで投げ散らかしたりする輩もいるようです。 私には、せっかくの自然の恵みを大切にしない人、ごみを投げ散らかす人の方が、よほどフーリガンに見えるのですが。
*つぶやき*
今年は流氷も接岸し寒い日が多かったのでしっかりと結氷した年でした。先日ワカサギ釣りに行きましたが約6Kgの大漁。ソリを引いての帰り道、八甲田山の進軍状態になりようやく帰りました。体力の低下を痛切に感じるこの頃です。