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遠軽御買物map
奄美の里@@a
茅葺き(かやぶき)の屋根
どうして奄美の里という名前がついたのでしょうか。
本場大島紬発祥の地、奄美大島は、その昔南下する稲作文化と北上する
織物文化、
それに大陸文化などが行き交う伝播路または中継地として特別な地域で
した。
奄美大島を起点に連なって点在する島々鹿児島、種子島、屋久島、沖縄
のことを、
古くは 「道の島」 あるいは 「海のシルクロード」 と
よんでいました。
道の島づたいの中心に位置する奄美大島は、深い緑に鮮やかな色の花、
青い海に、
あたたかい風につつまれ、旅の疲れを癒し、力を与えてくれます。奄美
大島の風情を
感じながらゆったりとした時間をすごして頂けたら・・・という思いか
ら「奄美の里」の
名称ができました。
屋久杉工芸
現在屋久杉は、伐採が禁止されています。「なのになぜ屋久杉工芸品が
作れるの?」と疑問に思われるでしょう。
江戸時代から年貢として納められる屋久杉は大量に伐採され、木目の
通った屋久杉だけ運搬されました。残った大量の倒木は土埋木と呼ばれ
200年経過しても自らを守る樹脂のおかげで腐る事なくそのままの姿を
保っています。
また、花崗岩の上の薄い土壌で育つ屋久杉は台風などで倒れるものも多
く、その倒木や、切り倒された切り株なども現在の一級工芸品として使
用されます。
「そんなにたくさん倒木があるの?」と疑問に思われる方もあるでしょ
う。実際に屋久島へ訪れた方なら実感されると思いますが、至る所に大
昔、切り倒された屋久杉をたくさん見ることができます。
当サイトでは、世界遺産屋久島及び屋久杉に関する情報を取り扱ってお
ります。屋久杉の歴史や環境、屋久杉工芸品を作る職人などを紹介して
おり、また販売もあわせて行っております。皆様の魔除やインテリアと
して御利用ください。
屋久杉屋では職人たちの手によって多数のオリジナル商品を作ってお
り、屋久杉製品卸の会社で、屋久島の観光地や各県に屋久杉製品を納め
ております。
大きな家具や欄間(らんま)から置物や雑貨などの制作、卸を主体をし
ておりますが、この度、屋久杉の良さを皆様に知って頂くためにこれら
の商品をホームページで受注販売をさせて頂くことになりました。
屋久杉の良さを実感していただく為に【 屋久杉屋】が全国の皆
様にお届けします。
いぶすき篤姫館
江戸、そして日本を混乱から救った薩摩の女性
天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)
指宿いわさきホテル
長崎鼻
池田湖
指宿の池田湖に現れるといわれる恐竜イッシー、
風のない日に突然現れ、10メートルを超える黒い背中を、
見え隠れさせ白波を立てながら、泳ぐ姿を私は何回も目撃して
いる。各報道の方もカメラを湖底に沈め、その姿を捉えようと
するが、いまだに存在は不明だ。一説には恐竜時代の、テラノ
ザウルスではないか、と語られている。
地元の目撃者は、「あんやちゃイッシーやっど、まっげなかど!」??
1996/3/21 13:00頃
私が見たのは風がなく湖面が
穏やかな日でした。5~6人の
方が池田湖の方を指差してイッ
シーだ、イッシーがいると騒いで
いましたんで、私もカメラもって現
場まで行ったんですね、そしたら
池田湖の左岸の方から中央に向
かって、大きな生物のコブ見たい
な物体がゆっくり移動してまして、
チャンスだと思って写真を撮りまし
たね。 (左写真)撮影者
特攻平和会館
知覧には1942年に太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校し、
1945年、沖縄戦の特攻基地となり多くの若者がここから飛び立っていき
ました。
館内には零式戦闘機や3式戦闘機「飛燕」、特攻隊員として若い
命を終えた1035名の遺影、遺書、遺品等が展示され、敷地内の特
攻平和観音堂には1026柱の特攻隊員の霊が祀られています。
かるかん工場
軽羹」という名前のお菓子をご存知でしょうか。
この言葉を初めて聞いた時、語感の軽やかさと平仮名の親しみやすさか
ら、ふんわりとした和菓子を連想されるかと思います。
「軽羹」はまさにそんなお菓子。鹿児島名産の和菓子です。
原材料に自然薯(山芋)をふんだんに使った羊羹(棒羊羹)のかたちを
した和菓子。空気をたっぷり含んで蒸されるため、ふんわり柔らかい。
饅頭などの他の和菓子に比べても際立って白く、その中において一層引
き立ちます。楊枝を入れるとすっきりと切れ、口に運ぶとまろやかな甘
さが広がる、小麦粉だけで作られた蒸し菓子とは違った自然薯(天然の
山芋)のもつ香ばしさが飽きさせない。後をひいてしまう美味しさです。
真っ白な姿からは想像つかないほどのしっかりと主張とコクのある味。
一度食べたら忘れられない味となることでしょう
「軽羹」の名前の由来は諸説ありますが、その中に「軽い羹」という意
味からきたという説があります。軽い羊羹、まさにその様を表す言葉で
はないでしょうか。
親しみやすい言葉とは違い「軽羹」には多様な歴史と文化が込められて
います。「軽羹」の中に込められた美味しさや由来の秘密を、これから
少しずつ皆さまにご紹介していきたいと思います。ひとつの和菓子の歩
みをやさしく見守っていただければ幸いです
知覧武家屋敷
『美しい日本の歴史的風土100選』に選ばれました。(平成
19年3月2日)
知覧武家屋敷庭園保存会は、昭和50年6月16日に発足し、今年で3
3年目になります。
市町村合併の波は知覧町も例外ではなく、昨年12月1日に近隣の頴娃
町、川辺町と合併して、南九州市知覧町となりました。庭園保存会も合
併整理に先立ち、知覧町観光課内の事務局を西郷邸に移転させ、平成1
9年4月1日より庭園保存会主導の運営に切り替えました。
今年は、NHK大河ドラマ「天璋院篤姫」が放映されます。篤姫の今
和泉家と縁のある知覧に、是非お越しください。
お待ちしております。
仙巌園・尚古集成館
幼年時から曾祖父・島津重豪(しげひで)に開明的な影響を受け、優れ
た偉材として藩の内外から藩主となることを期待されていた島津斉彬
(なりあきら)でしたが、重豪時代の放漫財政、近思録崩れ(きんしろ
くくずれ)、調所広郷の財政再建、そしてお由羅(おゆら)騒動などを
経て、第11代薩摩藩主に就任したのは、斉彬43歳のときで
した。そして、その7年後、在任の最中50歳で急死しま
す。しかし、わずか7年の間に、藩内をまとめ、富国強兵・殖産興業を
率先して推進した政策は、明治維新の原動力となるものでした。斉彬の
富国強兵・殖産興業政策である『集成館事業』の史跡と旧島津家別邸で
あった『仙巌園』を鹿児島市吉野町磯に訪ねました。
(旅した日 2008年01月)
鹿児島港
鹿児島港は、錦江湾のほぼ中央部の薩摩半島側に位置し、南九州の中心
都市鹿児島市を背後に擁する重要港湾です。
鹿児島市の南北約20?の範囲に及ぶ7つの港区に分かれており、桜
島航路などの湾内フェリー、種子島・屋久島、奄美・沖縄航路などの離
島航路のターミナルとして、また、地域経済を支える生活物資の流通基
地、あるいは漁業・レクリエーションなどの活動の場として地域の発展
に大きな役割を果たしています。
港の前面には、広大かつ静穏な「錦江湾」が広がり、その中に活火山
「桜島」が雄大な姿を浮かべるなど、その景観は「東洋のナポリ」とも
称されています。また、約670年にも及ぶ歴史や文化にも恵まれた港
湾であり、国内外の観光船が寄港する日本有数の寄港地となっています。
鹿児島県では、アジア地域をはじめとする各国との交流拠点の形成な
どを目的に、国際観光船バースと県民や観光客が憩い、散策できる緑地
空間からなる「マリンポートかごしま」(1期1工区)を整備し、20
07年9月28日に供用開始しました。
桜島港
桜島
鹿児島市街地から約4キロ、錦江湾(鹿児島湾)内で噴煙を上げる桜島
鹿児島のシンボルでもある桜島の山は、有史以来爆発を繰り返す世界有数の活
火山
時折鹿児島市内にも噴煙による灰が舞い降りる
噴火の歴史を物語る溶岩原が島各所に見られる
桜島は島で鹿児島市街地からはフェリーを使うのが便利だが、実は陸地でつな
がっている
桜島町観光課 099-293-2525
桜島・有村展望台
黒酢の里
そもそも一般の米酢と黒酢って何が違うのでしょう?
米酢と黒酢の違いはズバリ『原料』とその『製法』です。
米酢の原料は普通の『精米』を使用しますが、鹿児島福山の黒酢は『玄米』を使用します。
玄米とは収穫された米から籾殻(もみがら)だけを取ったもので、精米よりも優れた栄養価を持っています。
また製法ですが、一般の米酢は、原料の精米を蒸したものをホーローやステンレスなどの金属容器に入れて、そこに水と麹菌を加えて糖化させ、次に酵母菌を入れることでアルコール発酵させます。その後、酢酸菌を加えて米酢となるのですが、製造にかかる期間は4ヶ月ほどの短期間。
一方、鹿児島福山の黒酢の製法は米酢のような工業的製法では作られません。
鹿児島の福山黒酢は別名「壷酢(壺酢)」」とも呼ばれています。
この由来は福山町独特の製法にあります。
壷酢造りに用いられる容器は『アマン壷』と呼ばれる陶器製の壷。
熟成過程の黒酢。機械設備は一切使いません
その壷に杜氏が玄米、麹菌、水を仕込んでからは、壷は屋外に置かれ、放置されます。そして、壷は昼間は南国鹿児島の強い太陽光に照らされ、夜は鹿児島錦江湾からの冷たい海風にさらされ、その中で1年以上かけて自然にじっくりと糖化、アルコール発酵、酢酸発酵までが行われるのです。
なぜこういう製法で黒酢ができてしまうのか、その神秘のメカニズムは完全に科学的解明がされていないのですが、鹿児島福山の気候環境が黒酢を生み出していることには間違いはありません。
こうやって生み出された鹿児島福山の黒酢は米酢に比べて美しい琥珀色をしており、味も香りも格別です。最近は飲料として飲まれる機会が多いですが、鹿児島では黒酢を使った料理も多く、調味酢としても大活躍をしています。