仙巌園・尚古集成館



幼年時から曾祖父・島津重豪(しげひで)に開明的な影響を受け、優れ
た偉材として藩の内外から藩主となることを期待されていた島津斉彬
(なりあきら)でしたが、重豪時代の放漫財政、近思録崩れ(きんしろ
くくずれ)、調所広郷の財政再建、そしてお由羅(おゆら)騒動などを
経て、第11代薩摩藩主に就任したのは、斉彬43歳のときで
した。そして、その7年後、在任の最中50歳で急死しま
す。しかし、わずか7年の間に、藩内をまとめ、富国強兵・殖産興業を
率先して推進した政策は、明治維新の原動力となるものでした。斉彬の
富国強兵・殖産興業政策である『集成館事業』の史跡と旧島津家別邸で
あった『仙巌園』を鹿児島市吉野町磯に訪ねました。        
              (旅した日 2008年01月)

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