平成24年「萬象皆新」
平成24年新春号
「萬象皆新」ばんしょう みな あらたなり
昨年の大震災で被災された一人の女性の方が、避難所で、
「私たちは、他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいません。
皆さんどうぞ我慢せずに楽しい時は笑い、嬉しい時は喜んで下さい」と
笑顔で、話されていました。又、辛い避難所生活にあっても尚「私たちは
大丈夫です。私たちより辛い人達がいます。そちらに手をさしのべて下さい」
ち極限化においても、他人を思いやる事が出来る人が大勢いる事がわかりました。
仏の教えにかなった「心豊かに生きる」姿がそこにありました。
「心豊かに生きる」事は「感謝して生きる」事に他なりません。
「精進」先を思わず後を振返らず。この姿を精進と言う。
ただ成すべき事をしたすらなす。人は苦しい時こそ先を見ず、今なすべき事を
なして精進するのです。そして自分ではどうする事も出来ない時には、「祈る」
事です。「めぐり合わせが吉祥でありますように」・・・と祈るんです。
毎日の些細な事に「感謝」する事です。
たとえ不幸なめぐり合わせがあったとしても「祈り」と「感謝」があれば必ず
乗り越えられます。
感謝の心を養い、そして人さまから感謝される様な生き方が出来れば素晴らしいですね
皆様に今年一年良いめぐり合わせがあります様ご祈年申し上げます。
大般若祈祷法要
僧洞宗で唯一、ご祈祷で唱えられます「大般若経」はお釈迦様が14年もかかってお説き
になったお経で、お釈迦様の教えの一番中心思想であります。「一切皆空の理」が述べられて
おります。
世の中の人々の物やお金に対する執着心を打ち破る事を目的としてその魔性を降伏し、退散
させようとするわけであります。
大般若祈祷法要とはご祈祷法要であり、仏様の絶対の智慧の功徳を頂く事によって、私たちにかかわる
大難を小難に小難を無難にと願うお参りでもあります。
平成24年早春号
彼岸のお話・・「ゆるす心」
人間は子離れ親離れが苦手な生き物であると言えます。
お経にこんな話があります。
「昔一人の信仰の深い青年がいました。父が死んで、母親と共に
親一人子一人の幸せな新しい生活を送っていましたが、新たに、
嫁を迎えて3人暮らしとなりました。
はじめは仲が良く平和な家庭でありましたが、ふとした事か
ら姑との心の行き違いが起こり、波風が立つと、容易には収まらず
、ついに母は若い二人を残し、家を離れる事となりました。
母が別居すると、やがて若い嫁に男の子が生まれました。「姑と
一緒にいる間はめでたい事もなかったが、別居するとこうしてめで
たい事が出来た」と嫁が言ったという噂が、寂しい一人暮らしの姑
の耳に入ってしまいました。姑は腹を立てて叫びました。「世の中
には正しい事がなくなった。母を追い出して、それでめでたい事が
あるなら世は逆さまだ」姑は「この上は、正しさという主張を葬り
さらねば」と喚き立て、気がふれた様に墓場に出かけた。
この事を知ったインドラという神は、姑の前に現れて、色々諭した
が、姑の角は折れません。インドラ神はついに「それではお前の気が
済む様に、憎い嫁と孫を焼き殺してやろう。それでよいな」と言った
のです。この言葉に驚いた姑は自分の間違っていた心の罪をわびて、
嫁と孫の助命を願いました。息子と嫁もまた、この時には今迄の心得
違いを反省し、母を訪ねてこの墓場に来る途中でありました。インドラ
神は和解させ、平和な家庭に帰らせました。
仏の教えがなくなるのは、教えそのものがなくなるのではなく、その人
の心の正しさが失われるからであります。
心と心の食い違いは、誠に恐ろしい不幸をもたらすものであります。
わずかの誤解も、ついには大きな災いとなります。家庭の生活におい
て、特に注意しなければなりません。「本生経」というお話です。
煩悩や欲望に満ちた「この岸(此岸)から迷いのない安楽の「かの岸(彼岸)
に皆で渡りましょうというのがお彼岸であります。
それには「赦す(ゆるす)心」が大切です。自分も周りに大なり小なりの
迷惑をかけながら生きています。だから自らも周りを「赦す」のです。
心豊かになるひとつの方法ではないでしょうか。
平成24年仲春号
咲いた花見て喜ぶならば、
咲かせた根本の恩を知れ
これは「いのちのことば~私を立ち上がらせてくれた母のあの一言」
と言うテーマのもと募集され、全国から寄せられた作品の仲の秀作です。
花祭り法要(降誕会)ごうたんえ
今から2500年ほど前の4発初8日、一人の人間がこの世に生を享けました。
この方の誕生によって、私たちはいま仏教を学ぶ事が出来ます。お釈迦様
の誕生であります。仏教では降誕( ごうたん)と言います。
お釈迦様には、その誕生の時にお悟りを宣言されたという伝説があります。
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)
私にとって私の命が尊い様に、それぞれの生命が同じ様に尊い。全ての生命
はどれも尊くかけがえがない。と説いておられます。
花御堂に微笑みながら立っている幼い姿の誕生仏に甘茶をそそぐと、自分の
心も清らかになり、豊になってまいります。
平成24年盛夏
「先祖代々」
△お盆
松葉栄えんと欲せば、まずその根を敬うべし
自分を一本の木の幹とすれば、根っこは先祖であり、
枝葉は子孫にたとえられるでしょう。
一番身近な先祖は親であり、一番身近な子孫は子供です。
根っこである先祖を敬い、供養する事は、そこから血を
受け継いでいる自分を大切にすることですし、その繰り返し
が子々孫々に受け継がれてゆくのですから。
お盆にあたり、お仏壇の前にお供えして、亡き人を供養し
脈々と続いている命の尊さを思いその「おかげ」に感謝
します。「先祖代々」の繋がり、、「帰るべき家」
8月16日(木曜日)
午前10:30から
得度式[3男の心瞭さん」おめでとう
初盆施食会
盂蘭盆施食会
平成24年初秋
斜里町の曹洞宗のお寺でのお話
永平寺では、承陽殿という所に道元禅師さまの御木造が安置
されており、係の修行僧が毎朝毎晩磨いております。終わると
道元禅師さまが好んで食していた「かやの実」と梅とお茶をお
供えしています。それは、実に八百年来、脈々と続いている仕
事なんです。「供養」で大切なことは、生きているが如くにお
世話することなんです。生きているが如くにですよ。
もうひとつ大切な事は思い出してあげる事です。
自然の恵みに感謝する好時節がお彼岸でありますが、それと同時に
ご先祖様に思いを寄せ、いま自分が生かされている事へ感謝するの
もお彼岸の大切な仕事です。
彼岸とは、苦しみのない、平和な安らかな浄土、理想の世界の事です。
此岸とは、思い通りにいかない自分に苦しみ、悩み、争い、迷う現実
の世界の事です。その世界を少しでも安らかな、安養の世の中にする
様、お互いつとめていく「心の修養週間」がお彼岸です。
平成24年開山忌法要
開山忌法要とは、曹洞宗をお開きになった両祖様(道元禅師さまと
瑩山禅師さま)そして祥巌寺の歴代住職様(土佐林住職、小出住職、
先代住職など)への報恩感謝のご供養です。先人のご努力によって
今も変わらずお参り出来ることに感謝致し、心静かに手を合わせ
ましょう。
11月5日(月)午前10:30から
開山忌法要
ご先祖供養
ご布教「秋田県平鹿町香最寺住職國安大智師」
おとき
ーーーー
ご布教
*菩薩様のように・・・
あたかも母が己が独り子を命を賭けても護るように
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても
無量の(慈しみ)心を起こすべし。
*一発菩提新を百万発するなり。
*教えは何のためにあるか、実行するためにある。
仏教ではだめだ仏道でなければ(大本山永平寺前貫首
宮崎禅師様のおことば)
*心は見えないけれど
心づかいは見える
思いは見えないけれど
思いやりは見える
やさしい思いが
やさしい行為になったとき
心は初めて生きる
心は生きることは
人間が生きることだ
(宮澤章二さん”行為の意味”作詩)
ー家に帰りただいまと仏壇にお参りしましたー
南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏
御先祖様が守っていてくださる事
無縁の仏様を思った時
手を合わせていて、涙があふれそうになりました。
生かされている自分
精進しなければ・・・