平成25年立春号
お涅槃会(おねはんえ)2013年2月17日(日)11:00
お釈迦様は80歳の時、生まれ故郷へ向かう最後の
旅の途中で体調を崩し、2月の満月の日にクシナガラ
の地で入滅されました。
お釈迦様が亡くなる事を「入滅」(にゅうめつ)とか
「般涅槃」(はつねはん)と表現します。
ーーーご自身の最後を迎えるにあたり、お釈迦様は
故郷を目指して旅をしていました。仏陀になっても
なお「生まれ育った故郷を一目見てから死にたい」
というのは、自分を育ててくれた父や養母などの思
い出が、故郷の野山や町並みを見る事で懐かしく蘇
るためと思われます。それは、故郷に対する深い感
謝のきもちだったのでしょうーーーーーーーー
永平寺の道元禅師さまも亡くなられる数ヶ月前、永平寺
を離れられ生まれ故郷の京都に帰られました。
人間は、病気や飢餓、あるいは生命の危機におちいると
子供に還るといわれます。病床のご老人が子供にかえる
というのはごく普通にみられる事です。「子供にかえる」
という気持ちは故郷に帰っていくことに他なりません。
死んでいくと言う事は、元に帰ることであります。
曹洞宗では葬儀に用いる白木の位牌に「新帰元」(しんき
げん)と記します。これは、私の心身は「空」から発生し
、「ああだ、こうだ。是だ非だ。」と様々な「有」をあ
らわし、悲喜こもごもを繰り返しながら、やがてまた元
の「空」へ帰っていくことをあらわしております。
ーーーーーーーー
高齢になると昔の事や故郷の事が思い起こされるというの
は、自分の人生の総括をしているということ、自分の気持
ちが原点に帰ることを意味しているのでしょう。しかし
「空に帰る」というのは「無になる」とは全く違います。
「空」というのは無限の可能性を持っている真理のことです
言い換えれば「仏」ということです。
逝去していくことを我が国では「成仏」したとか「仏になった」
などというのです。
ーーーーーーー
道元禅師は「仏の家に身も心も投げ入れよ」と示されております
この世に生まれる以前から仏の世界にあって、仏の世界で生き、
亡くなると仏の世界に帰っていくのですから、日々感謝の心を
大切にて、仏様「お釈迦様」の道を歩んで行きたいですね。
ーーお釈迦様の遺徳を偲び、心静かに我がご先祖様にてを合わ
せましょうーーーー
お涅槃会
法要の後には、無病息災の涅槃団子まきがあります。