鹿児島港
鹿児島港は、錦江湾のほぼ中央部の薩摩半島側に位置し、南九州の中心
都市鹿児島市を背後に擁する重要港湾です。
鹿児島市の南北約20?の範囲に及ぶ7つの港区に分かれており、桜
島航路などの湾内フェリー、種子島・屋久島、奄美・沖縄航路などの離
島航路のターミナルとして、また、地域経済を支える生活物資の流通基
地、あるいは漁業・レクリエーションなどの活動の場として地域の発展
に大きな役割を果たしています。
港の前面には、広大かつ静穏な「錦江湾」が広がり、その中に活火山
「桜島」が雄大な姿を浮かべるなど、その景観は「東洋のナポリ」とも
称されています。また、約670年にも及ぶ歴史や文化にも恵まれた港
湾であり、国内外の観光船が寄港する日本有数の寄港地となっています。
鹿児島県では、アジア地域をはじめとする各国との交流拠点の形成な
どを目的に、国際観光船バースと県民や観光客が憩い、散策できる緑地
空間からなる「マリンポートかごしま」(1期1工区)を整備し、20
07年9月28日に供用開始しました。
仙巌園・尚古集成館
幼年時から曾祖父・島津重豪(しげひで)に開明的な影響を受け、優れ
た偉材として藩の内外から藩主となることを期待されていた島津斉彬
(なりあきら)でしたが、重豪時代の放漫財政、近思録崩れ(きんしろ
くくずれ)、調所広郷の財政再建、そしてお由羅(おゆら)騒動などを
経て、第11代薩摩藩主に就任したのは、斉彬43歳のときで
した。そして、その7年後、在任の最中50歳で急死しま
す。しかし、わずか7年の間に、藩内をまとめ、富国強兵・殖産興業を
率先して推進した政策は、明治維新の原動力となるものでした。斉彬の
富国強兵・殖産興業政策である『集成館事業』の史跡と旧島津家別邸で
あった『仙巌園』を鹿児島市吉野町磯に訪ねました。
(旅した日 2008年01月)