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山神の碑

今でこそ道路はあって当たり前と思われていますが、明治20(1887)年頃では囚人が国道開削に駆り出された。
想像を絶する過酷な状況下で労役され、犠牲者が後を絶たなかったといいます。
明治25年、北見道路は完成しましたが犠牲者を供養するため、同27年、瀬戸瀬の住民は、彼らが死後も囚人と呼ばれるのは気の毒と思い木柱に「山の神」と刻みましたが、同年38年に現在の石碑が建立されました。

薬師山

小さな山ですが、住民の間では「山の神」の名で親しまれ、明治35年に入植者が開墾の労苦と併せて国道開削殉難者の霊の安らぎを薬師如来に求め、部落民一体となって頂上に薬師堂を建立したことから「聖なる山」としてあがめられてきました。
昭和15(1940)年、薬師堂の下方に国防婦人会瀬戸瀬支部の手により皇紀2600年記念堂が皇居の方角に向けて建てられました。

薬師山霊場八十八ヶ所

昭和58年、瀬戸瀬婦人期成会が、国道開削に殉じた人々を偲び、皆共々に今あることに感謝し、薬師山に理由の如何を問わず登山する人々の合掌への感謝と道行く人々に安全と幸せのご加護を願うため、ご本尊八十八ヵ所(番外を含め九十七ヵ所)の建立を行いました。
八十八という数字は、八十八の煩悩に由来するとか、「米」の字を分解したことによるとか、あるいは男四十二、女三十三の厄年を合わせると八十八になり自身や人々の厄難を除くため等々、諸説はあるようです。
なお、登山口傍の観音池に注ぐわき水は名水として人気を集めております。

2006/04/25/22:00ot-9←

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