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山神の碑

今でこそ道路はあって当たり前と思われていますが、明治20(1887)年頃では囚人が国道開削に駆り出された。
想像を絶する過酷な状況下で労役され、犠牲者が後を絶たなかったといいます。
明治25年、北見道路は完成しましたが犠牲者を供養するため、同27年、瀬戸瀬の住民は、彼らが死後も囚人と呼ばれるのは気の毒と思い木柱に「山の神」と刻みましたが、同年38年に現在の石碑が建立されました。

2006/04/25/22:00ot-9←

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