私とあなたの距離
娘との語らいの中で、母と娘ではなく
女という共通の視点で話が弾んだ。
人はいろんな立場があり、その立場を守りながら生きている。
娘とはいえ、彼女の個性があり、一人の人間として、
厳しい今の世の中を飄々と生き、自分の人生を謳歌しようとしている姿
に感動した。
自分の所有物ではない、一人の人格として受け止める。
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すてきな人生を・・・と願う!
D0Be
5月の風
5月の風に吹かれてみました。
チェリーピンクの優しさに包まれたくて・・・
山々からは残雪が・・・
まだ・・さくらはおあずけの様です。
そっと、そおっとしまっておきます。
優しくほほえむまで・・・
DoBe
ジグゾーパズル
私というジグゾーパズルの1ピースがぴったりあてはまる場所があるは
ず!!
春への慶び
なが〜ぁい間、閉ざされ、深い眠りにつく冬、
その中に一筋の光、和かな光、春の光。
木々も長い冬眠から目覚め、一気に芽吹き、花開かんとするこのエネル
ギー!まさに自然の偉大な力!
人も自然界に生かされ、春を待ち焦がれる。
風よ、雨よ、空よ、太陽よどうか素敵な春を運んで来ておくれ!
あしたの為に…
みんなの春を…
Ku
娘よ
23年前一つの光が私の元に届きました。
瞳の奥にお星さまがきらきら輝いていました。
小さな手のぬくもり…
安らかな寝息…
そして何にもまさる
あなたの笑顔…
お誕生日おめでとう!
素敵な人生を…
Ku
ユキノシタ!
私の名前はユキノシタ!
学名:Saxifraga stolonifera
名前が雪の下なのに、北海道には咲かないのです。でも日当たりのあま
り良くない場所に生育します。
心臓病、肝臓病などで、軽いむくみのあるときは、乾燥した葉・虎耳草
(こじそう)を10グラムを1日量として、0.4リット
ルの水を加えて、煎じながら約半量まで煮詰めたものをこして、食前か
食間に1日3回服用するそうです。
花は5弁で下の2枚が白く大きく、上の3枚は薄紅色
で薄い赤紫の点があります。
葉は精進料理などでてんぷらにも・・・。
みなさん宜しく・・・
ハイネ詩集
たちまち消ゆるわが憂い。
君にくちづけするときは
たちまち晴るるわが思い。
君がみむねに寄るときは
天の悦びわれに湧き、
君を慕うと告ぐるとき、
涙はげしく流れ落ちたり。 (ハイネ詩集より)
物理学者の小柴昌俊さんも青春時代にハイネ詩集を好きだった様です。
1月16日日経夕刊「こころの玉手箱」より
ハイネの墓石の左右両側には、ドイツ語で、次の詩句が刻まれているそ
うです。
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この疲れたる旅人の つひの憩ひの宿いづこ
南の椰子の蔭なるや ラインの菩提樹の下なるや
さもあらばあれいづことて 神の御空はここのごと身のあたりをば囲む
らむ 黄泉路の燈火とばかりに夜はわが上に星あらむ
(村松嘉津訳)
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なじかは知らねど心わびて、昔のつたえはそぞろ身にしむ。
わびしく暮れゆくラインの流れ、入り日に山々赤くはゆる。
うるわし乙女の巖頭に立ちて、黄金の櫛とり髪の乱れを,梳きつ
つ口ずさぶ歌の声の、神怪しき魔力に魂も迷う。
こぎゆく舟人歌に憧れ、岩根も見やらず仰げばやがて、波間に沈むる人
も舟も、神怪しき魔歌謡うローレライ。
この曲が耳に聞こえて来ました・・・・
さくら
ことしも生きて
さくらを見ています。
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらを見るのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
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茨木のり子作「おんなのことば」より
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盛んに咲いているさくらを見て、彼女の詩を思い出しました。
いつの時代もさくらは多くの人々の心に脈々と生き続けているという事
を実感しました。
さて今年のさくらは私に何を教えてくれるのか?
DoBe
わたしの道
行きたい場所がそれぞれ違うなら
これは寄り道じゃなくわたしの道
みんなとは違う場所にいるけれど
前は見ています。
まわりの景色もよくみえてます。
歩き方も知っています。だから心配しないで
もう少しであなたから見える場所に辿りつくよ。
行く先は知っているから
だってわたしの道なので
人間の実力
物事が順調に進んでいる時には、その人の実力は見えにくい。
辛い、悲しい、苦しい、やるせない状況、自分にとって不都合な状況に
なった時どんな態度で試練に対処できるかで人生の実力が決まる。
又苦境のなかで生きている証を見る事ができその状況を幸せと思えるか
どうかで、人間の実力が決まる。
と書いてあった。
なんとなく判る。自分を見つめながら、自分を探す。DoBe